○バイク曲芸を披露する球形の檻は目に見えない宿命の暗喩か。−「プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命」感想。


◇巡業曲芸のバイク乗り。奴のあまりに無分別な奴の非道が実は父の息子を想う無償の愛に由来するとするというハナシ。父の無償の愛情がテーマ。息子のために何がしかの代償を払った「父たち」の話だと理解した。

原題は「The Place Beyond the Pines」。舞台であるニューヨーク州のSchenectadyという町、その名がネイティブアメリカン、モホークの言葉で「松林を抜けた場所」を意味するらしい。イ・チャンドン監督の「シークレットサンシャイン」を彷彿させる名付け。

ライアン・ゴズリング演じるルークやデイン・デハーン演じるルークの息子ジェイソンのパートは、強烈に華がある。だから、あえて華のないブラッドレイ・クーパー演じる警官エイヴリーのパートに重きをおいて語ってみたい。

エイヴリーは警官。父親のアルは判事。親子関係は和気あいあいとは云いがたい。彼がロースクール出身なのに警官になった。その理由は、野心的に法曹界の階段をずんずん上っていく猜疑心や反発が根底にあったっぽい。父子ふたりの会話、ギクシャクしたやりとりはそう匂わせる。

「犯罪者に手錠をかける」というシンプルな正義遂行、エイブリーはそれが警察の仕事だと思っていた。ときにには罪人と司法取引する判事のやりくちに不満があったかもしれない。エイヴリーは、警察を美化し過ぎていた。誇らしい偉大な父に反発して。

当然、エイヴリーに警察内部の汚職を見逃すなんて芸当は無理だった。浅はかさという意味では彼の警察内部の不正告発は、ルークの強盗とさほど変わらない。警察のヤクザ顔負けの互助会組織を敵に回わす結果を招いた。エイヴリーは父の助言に従い、警官仕事に見限り同僚を裏切る。かくして、エイヴリーは第二の人生を歩むことなった。検事としての。

検事になった彼は政治的な男に変貌した。彼がかつて嫌っていた親父のようになった。だが、エイヴリーに選択肢はなかった。エイヴリーは、親父を野心家だと決めつけていたが、それは間違っていた後悔したかもしれない。今の自分が野心満々にみえて、極端な恐がり屋であるように。

エイヴリーのパート、親父のアルの立場で考えてみる。彼にしてみれば、怪我の功名とかもしれない。汚職警官におびえる息子が自分の助言を求めて飛び来んできたのだから。実弾は飛んでこない法廷に息子を呼び寄せた。膝を打ち抜かれることはない口八丁の世界へ。息子へ愛が息子に仲間の裏切りを吹き込んだ。己が裁判所界隈で存分に顔が利くうちに息子を安定したレールに載せること、それにアルは間に合った。幸福な父だった。



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○走りについて。


◇走っている。土砂降りでない限りほぼ毎日。つまり走りはボクの日課になっている。はやめに夕飯とり、ネットやテレビを見たりした後「さぁ走ろうか」ってウェア着替えて出掛ける。走る前に我流のストレッチ体操をやる。脚と背中を中心に。休みの日は午前中走ることもある。けどまぁたいがい夜が多い。
5キロ走っている。ちょっと前まで4キロだった。5キロもそろそろイケそうだと判断し、そうした。割合すんなり走れている。

走るきっかけはダイエット。食事どんなに頑張っても効果がでない。「これは運動するしかないぁ」と始めた次第。最初はウォーキングな走りだった。ナイキの走り支援アプリ、こいつの恩恵もでかい。1キロあたりのタイムが出るし、それがずっと保存されいるのでトータル走った距離や走りの向上具合が一目で把握できる。元西武の清原や安田美沙子長谷川理恵の声で励ましが貰えるのも嬉しいもの。まぁ機械だけど。

1年前は1キロ6分前後で走っていた。今は5分30秒くらい。かなり快調に飛ばせるようになった。速く走るにはそれなりにコツがあるんだなと気づいた。

本エントリーでは主題は、走りに対するのボクの気分の変化。速く走るコツについてがまた別の機会に書くつもり。

「俺はクルマで、夜の町をドライブ的に流しいる」

走り初めた頃のボクはそんな体(てい)で走っていた。走り中iPodで流す曲も、キリンジ中心(たまにFPM、または大橋トリオ等)。ドライブ気分とキリンジはすごくマッチし「俺はクルマ」 感にドンピシャだった。けど実際ボクはクルマじゃないし歩道を走ってるわけだけど。要するに夜の散歩の延長。そんな塩梅の走りだった。気分はクルマで。

でも今はまったく違う。身も心も徹頭徹尾ランナーだ。体(てい)なんて微塵もない。ひたすら「走る人」として走っている。ナイキ走り支援アプリが教えてくれるタイムに心底一喜一憂したりしてる。

たぶん、以前のボクは走ることに夢中でなかったと思う。いま振り返って思うと、それはダイエットで走るという、典型的なメタボおじさんの有り様を素直に受け止められなかったのからだ。あるいは、「ダイエット目的で走る」というベタな行動パターンに照れがあったのかも。「俺はクルマだ!」という夜ドライブの体裁は、実は走るという行為を自分に納得させるボクなりの呪文みたいなものだったのだ。

でも今のボクに呪文はいらない。走ることにモチベーションがあるから。ナイキ支援アプリや痩せているという効果のモチベ維持に繋がっていることは間違いけど、けどボクの走りモチベはそれだけではない。走りたい!から走っているという気分がすごく在る。ボクは走ることに夢中だ。「クルマの体で走る」とかベタにジョギングおじさん化することを拒んでたボクが、走り自体に娯楽と感じ始めている!この変化に我ながら驚いている。驚きのあまり笑ってしまう。

走りにぞっこん。そんな自分に戸惑っているが、実際そうだから仕方ないなという感じ。走りの何がそんなに楽しいのか?速く走れるようのなったのが嬉しいのか?走りきった後の心地よい疲労感がイイのか?今ひとつ自分でもわからない。そういえば、走りなかで自分の知らない自分を発見することがある。「発見した自分」とは、もっとと速く走りたいという欲求だったり、老いだったり、ド根性だったりする。こんな多様な自分があったのかという驚きがある。それが面白いのかもしれない。

つまり、走ることが楽しいと感じ、ボクは走っている。いやぁ、クルマの体で走っていたアノ頃からするとずいぶん遠くまで到達たなぁと思う。で、今ランニングの伴奏ミュージックとして気になってるのは、ベースメント・ジャックスのニューアルバム「Junto」ですね。



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柳家は暗いよ。


◇落語家っていうと「笑点」のイメージが強いかもしれない。日テレの長寿演芸番組。座布団すわって大喜利やっている人たち。たまに一人で「じゅげむ」とか「饅頭こわい」とか喋る職業って感じか。

原色に近い着物っていう印象もあるだろう。けど、それが笑点流で、落語家も原色の着物なんて滅多に着ないはず。世の中に正義の味方はいるが、テレビの戦隊もののようにわかりやすく赤、青、ピンクなどの装束を身にまとってない。悪党もしかり。一見正義と悪は見分けつかないのが世の常だ。

落語家がのべつ笑顔で愛想振りまいてるってのもイメージも、あれも笑点のせいか。柳家一門。プレイベートは知らないが、芸風が暗い。足とか踏まれたら臨終に「オマエに踏まれた足が痛い」と言って死ぬ手合いだ。根にもつタイプ。落語界きっての陰気大派閥。

というのが、柳家一門の印象だった。けど、そうじゃないかもって考えた。柳家は芸風が暗いんじゃくて、暗い客席の空気にシンクロする性質なんじゃないか?って思いついたから。

小さんの「首行灯」。侍に啖呵をきってせいで、首がとんだ奴が提灯みたいに首をさげて歩くって噺。斬られるキッカケになる啖呵。啖呵は刃だ。言葉そのものより、それを放つ野郎の恨みつらみ圧縮されている。侍とか身分とか世の中のしくみとか、そういう一切合切への不満や嫌気が破裂し啖呵という刃になって侍に向けられたのだ。首を刎ねられるというのは、侍の激高振りと狼狽ぶりを伺わせるに十分だ。

小さんは、江戸っ子の後先考えない鬱憤溜め込み野郎の衝動をみごと演じている。でもこれって、江戸っ子を演じるだけじゃこういう凄味はでないと思う。首行灯野郎と客席に漂う負な感情、その二つにシンクロして自分のなかで決着し、噺として語っているんじゃないか、と。
小さんは暗いのでなく、暗さを感受する優れたアンテナだったということ。
小さんアンテナは弟子たちにも引き継がれている。小三治や権太楼の友達にしたくないタイプっぶりを見れば一目瞭然。奴らは友達然(「笑点」的な)より、負の感情を察知シンクロする芸に与しているんだ。

結論。柳家は暗いんじゃくて、暗さにシンクロする一門だった。ん、やっぱ暗いのかな?




トルストイ作品がキーラの美貌と大発明的演出で蘇る!


◇映画「アンナ・カレーニナ」を観た。
ロシアの文豪トルストイ原作の不倫もの。キーラ・ナイトレーが不倫に走り、人生の歯車がぶっ壊れたアンナを妙演。相手役アーロン·テイラー·ジョンソンもイケメン将校役がハマっていた。坊々的な線の細さというアーロン自身のキャラが役柄に深みを加えたっぽい。アーロン、このひと「キック・アス」のヘタレ主人公役だね。全然印象が違う。あ、今回も将校も結果的にはヘタレなのか。

社交界こそ人生の檜舞台!パーティー会場から退出する=舞台上の天井梁へ上る的な当時の帝政ロシア社会を丸ごと舞台装置に見立てた演出は斬新。
高貴な人々。いわゆる貴族階層は「見る/見られる」という相関関係のなかに暮らしている。舞台装置とい見立てはその意図だ。挨拶や踊りの所作もこうした相関関係を形成する道具だ。
要するに、格式張った挨拶や所産のやり取りの連続が貴族を貴族たらしめている。当然、恍惚や嫉妬などエモーションの爆発は忌避される。様式から外れすぎているから。
アンナの不貞は不貞故に忌避されるんじゃなく、奔放な魂の雄叫びだから忌避されるのだ。道徳とか宗教とか法律とかそういうもので、禁止したりタブー化するというのは実は魂を縛ろうとする社会側の欲求なのだ。

不倫相手とも縁を切れない。かといって息子への執着も捨てきれない。で、将校に別のオンナの影がないか詮索し、かんしゃくを起こす。アンナはハチャメチャだ。無茶苦茶に自由だ。ある男と目があった瞬間、魂が雄叫びをあげた女がいて、彼女は社会のルールをうっちゃり魂の声基準で生きることにした。それがアンナなんだ。けれど彼女も将校も愛を突き通すには社会が染み付いていた。

アンナにとっての不幸は、不倫によって社会から絶縁されたことでなく、最後の最後で社会側に心が傾いたから。魂の声に従いきれなかったから。脆く、はかない愛。ゆえに愛は美しい。いや、強靭で不格好な愛を振る回すヤカラの社会のぶっ壊しっぷりもまた美しいかもしれない。その意味でアンナはその先駆けだったかも。
監督のジョー・ライトは文芸作品を上手く纏める才能があるのか。「プライドと偏見」、「つぐない」も見てみたい。と同時に、何故ジョー・ライトは「ハンナ」のようなオンナ版ジェイソン・ボーンを撮ったのか?という謎はのこる。

○ル・カレ的スパイ小説と腐女子大好物の奇跡的融合 -五條瑛 著「プラチナビーズ」感想。
(ISBN-13: 978-4087473445)


◇見た目以上にひょろっちい男の巻き込まれ系サスペンス!で、なおかつ「あぶない刑事」とか「相棒」的なコンビもの。

在日米軍の「会社」と呼ばれる諜報部門とその息の掛かった末端に籍をおくアナリストのハナシ。主人公の葉山は容姿的には白人。新聞、雑誌など巷に溢れる情報を精査解釈し会社にレポートする分析屋。筋は悪くないが半人前という感じ。表向きは出版社極東ジャーナルの社員。政治信条は鳩派。元陸上部だが、夏の暑さにめっぽう弱い。もう腐女子の腐心臓をワシ掴むために生まれてきたキャラ。萌えがネギ背負って歩いている風情。一方、相棒の坂下は見た目東洋系。国籍はアメリカの軍属。ガサツ。武闘派。ザ・軍人。

とある代議士(アントニオ猪木がモデル?)の訪朝団に同行した女優のたまご留美。「会社」から指図で彼女への聞き取り調査する葉山。留美の話で葉山の興味をひいたことが二つ。その一「留美が会ったという北の幹部が、身体的特徴的がかつて重要ポストを占めたある人物を彷彿させる」(復権の可能性)、その二「その幹部の側近か商売相手と見られる東洋系のイケメンの存在」(北の近々の画策の気配)。

最悪な展開。留美が行方知れずに。自分がなんかミスったのかもしれないと胸中穏やかでない葉山。一方の坂下、失踪中の米軍兵と海岸で発見された遺体の確認すべく金沢に出向く。捜索中の失踪兵に間違いない。だが顔を潰された遺体は殺しを匂わせる。留美案件と米兵失踪案件。留美の失踪。そして葉山を尾行する影。やがてふたつの案件は交差する。。。。留美北の工作員なのか?東洋系イケメンは何者か?北は何を画策している?

コンビものだが、元々のコンビでない。日本国内で動く際に目立たないと判断した「会社」が、見た目東洋人の坂下を葉山の助っ人として寄越した塩梅。葉山はアナリストは優秀なのかもしれないが、荒事はズブの素人。素人の正義感まるだしで留美の失踪が自分の責任だと重く考える葉山。職務以上にコトの真相を追い求め前のめる。結果、危険のド真ん中に立つ葉山。暴力断固反対の鳩がノコノコ棒で打たれになやってきた的な有り様。この辺り、腐女子のハートときゅうんきゅうん云わせる行動様式なのかも。というか、葉山は完全姫。じゃじゃ馬的なお姫様。身の危険とか頓着なく好奇心のまま行動しする感じ。むろん葉山を守るのは坂下の役目。騎士の役回り。腐女子に萌えるなってのが無理な相談だね。

WOWOW「モズ」班でドラマ化希望!けど葉山は誰がやるべきかなぁ。城田優Gackt?。。いやGacktさんは、キャスト的には北の謎イケメンの方だよね。じゃあ葉山は。。。。ウエンツ瑛士?!


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コーエン兄弟監督「インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌」感想。フォーク版フーテンの寅のフガフガな日々。


ニューヨーク。売れないフォークシンガー、ルーウィンの一週間を描いたもの。金欠。友人宅を転々と泊まり暮らす日々。そんなある日の友人宅。ペットの猫ちゃんが玄関からさーっと逃走。ツキに見放された奴のツキに見放されてる感がスコーンと分かる。

ネコはメタファー的小道具。この場面ではラッキーの象徴。ルーウィン足下をすわーっとすり抜けていく猫ちゃんの幸運の野体現ぶりが可笑しい。

かつては二人でやっていた。けど相方は自殺(コレもツテないエピソード?)。ルーウィン、ソロでやっていくしかない。レコード出した。タイトルが「インサイド・ルーウィン・デイヴィス 」。が、反応は芳しくない。たぶん有り金だけでなく借金もしてレコード出した模様。普段から金に縁のない奴が、さらにレコード出すため金突っ込んだあんばい。こいつは風采以上にヤバい感がプ〜ン。

大枚はたいてレコードがゴミじゃ哀しすぎる。彼はシカゴのプロデューサーに逢いに行く。シカゴに行くというデブ老人とその運転手のコンビ。彼らのクルマに相乗りさせて貰う。ルーウィンの抱っこする猫ちゃん。ここでのネコは。ルーウィンの疫病神の役割。疫病神と思いつつも抱えてなきゃならない(しかもシカゴに成功を掴もうという旅道中に)ルーウィンが可笑しい。

ところで、ネコはルーウィン自身の分身でもあると思った。彼は気まぐれで、定住を好まず、街のあいこちを転々と暮らす。その有り様がまるで野良猫そのものだと。じゃ、彼はなぜ間借り人生をやっているのか?夢があるから?いやいや、そうじゃない。彼は本能的に定住から逃げているのだ!

ネコ=ルーウィン。そう考えると、この映画、猫写真家の岩合光昭さんの世界の猫ちゃん追っかけドキュメンタリーの人間に応用した版にも思えてくる。

元カノのジーンが妊娠したと打ち明けるシーン。それはルーウィンに覚悟があるかどうかを知りたいからだったはず。ルーウィンへの彼女の罵倒は、実は叱咤。彼に奮起を促している。「肚をくくれ、年貢を収め時だろ?」と。暗に復縁を迫っているのだ。
けど、ルーウィンはまったく彼女の意図が伝わっておらず、中絶しか考えてない。で、中絶の金を工面することに奔走。

友人宅のカウチで寝泊まり転々する生活は不運でなく、ルーウィンの選んだものだ。というか、奴はそういうタチなのだ。まさに野良猫気質。キャーリ・マリガン演じるジーンのような女に言い寄られ(?)、それに気づかず、明後日の方向に奮闘し四苦八苦するルーウィン、ホントに寅さんっぽい。まさにフォークシンガー版「男はつらいよ」だ、これ。

寅さんプラス岩合さん。不可思議な結合だ。けど寅さんほど可愛げがないね。岩合さんの撮る猫ももっと可愛いし。間が悪い男なんだよな、ルーウィン。もう、なんか間の悪さが服来て歩いてるっ感じ。とにかく間が悪い。もう一個の欠点、鈍感さなんか。間の悪さに比べりゃや赤ん坊みたいもんだね。なんでマリガンみたいな女が惚れるかねぇ。プンスカ!


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池脇千鶴菅田将暉高橋和也伊佐山ひろ子という手練が演技怪獣として次々と綾野の前に立ちはだかる。− 呉美保監督「そこのみにて輝く」感想。


◇弟役の菅田将暉の実質主演映画とといってもイイ。菅田くんオファーバンバン来るはず。もちろん池脇さんもオファー殺到間違いなし。
高橋和也は新しい面見せた。土建屋の社長。その土地では猿山のボスのように君臨してる的な嫌ぁ〜な奴。
伊佐山ひろ子。人生に疲れ、すり減ってしまった感バリバリ。娘、千夏の最悪の将来を予感させる存在。


ボーイミーツガールもの。ある男の話。ある事故きっかけで腑抜け同然になった男、彼の再出発までに軌跡。

女はどえらい貧困のなか。疫病神に見初められたような女。四人家族。親父は寝たきり。母親は父親の看病。弟は傷害事件の前科持ち。保護観察中。母親は貧乏を「血」のせいにしている。もはや貧乏はうちの家業だというアキラメの境地。女はカラダを売って稼ぎ、生計を立てるほかなかった。

ふたりは出会い頭から惹かれあう。出会うべくして出会った「運命」。
パチンコ屋で弟にライターを貸したことがキッカケが、引き寄せた「運命」。
運命vs.運命!!
「血」という逃れないクビキが、男の出現で新たな局面に動き始める。

男は死に場所と定めだ山にもう一度のぼると決意した。今度は生きるために。女にとって、泥沼とは別の顔した運命が彼だった。男は希望だった。断腸の痛みを伴った。

ラストの哀しいのか嬉しいのか判然としない女の顔がステキすぎる。