柳家は暗いよ。


◇落語家っていうと「笑点」のイメージが強いかもしれない。日テレの長寿演芸番組。座布団すわって大喜利やっている人たち。たまに一人で「じゅげむ」とか「饅頭こわい」とか喋る職業って感じか。

原色に近い着物っていう印象もあるだろう。けど、それが笑点流で、落語家も原色の着物なんて滅多に着ないはず。世の中に正義の味方はいるが、テレビの戦隊もののようにわかりやすく赤、青、ピンクなどの装束を身にまとってない。悪党もしかり。一見正義と悪は見分けつかないのが世の常だ。

落語家がのべつ笑顔で愛想振りまいてるってのもイメージも、あれも笑点のせいか。柳家一門。プレイベートは知らないが、芸風が暗い。足とか踏まれたら臨終に「オマエに踏まれた足が痛い」と言って死ぬ手合いだ。根にもつタイプ。落語界きっての陰気大派閥。

というのが、柳家一門の印象だった。けど、そうじゃないかもって考えた。柳家は芸風が暗いんじゃくて、暗い客席の空気にシンクロする性質なんじゃないか?って思いついたから。

小さんの「首行灯」。侍に啖呵をきってせいで、首がとんだ奴が提灯みたいに首をさげて歩くって噺。斬られるキッカケになる啖呵。啖呵は刃だ。言葉そのものより、それを放つ野郎の恨みつらみ圧縮されている。侍とか身分とか世の中のしくみとか、そういう一切合切への不満や嫌気が破裂し啖呵という刃になって侍に向けられたのだ。首を刎ねられるというのは、侍の激高振りと狼狽ぶりを伺わせるに十分だ。

小さんは、江戸っ子の後先考えない鬱憤溜め込み野郎の衝動をみごと演じている。でもこれって、江戸っ子を演じるだけじゃこういう凄味はでないと思う。首行灯野郎と客席に漂う負な感情、その二つにシンクロして自分のなかで決着し、噺として語っているんじゃないか、と。
小さんは暗いのでなく、暗さを感受する優れたアンテナだったということ。
小さんアンテナは弟子たちにも引き継がれている。小三治や権太楼の友達にしたくないタイプっぶりを見れば一目瞭然。奴らは友達然(「笑点」的な)より、負の感情を察知シンクロする芸に与しているんだ。

結論。柳家は暗いんじゃくて、暗さにシンクロする一門だった。ん、やっぱ暗いのかな?