樋口毅宏著「タモリ論」感想 その2


◇むかし作家の村松友視がプロレスラー語りやっていた。さらに昔寺山修司が競馬叙情派を打ち上げていた。対象を率直に語るでなく思い入れフィルター越しに語り倒すという芸風。この本は、それのタモリ語りヴァージョン。

アイドルはウンコしない!とか、立ち技格闘技最強は相撲!とか。主観的に「好き」を語るなかで、対象に肉薄しようって試み。損得なんて端から度外視。ムダといえばムダ。けどしかし、なんとも魅力的な「好き好き」の表現だと思う。

むろん、ノリノリで読んだ。明石家さんまを「リアルな絶望大王」として定義するトコはちょっと、ん?って思たけど、それも吞込んだ。
タモリ=絶望大王説。
それがまずあって、それを補完する見立てで、たけし=ハルクホーガン説。そして、さんま=リアル絶望大王説がある。

たしかにタモさんって、誰に期待これっぽっちもない感じ。絶望ドン底感ある。華無いよね、実は。ホント人ごみにまぎれそう。「マイルスのラッパは泣いているけど、オマエのは笑っている」ってジャズ先輩に言われたってエピソード、あれ嬉々としてタモリしゃべる。けどぼくは全然ピンと来てなかった。でも絶望大王の見立てで眺めるとシックリくるし、ジワジワ系な可笑みもある。

さんまには死の影がつきまとって見解にはうなった。なるほどと。たけしって人が自己愛が弱いっていうか自戒が破滅願望にスライドする人だと思う。そういう硝子メンタルの人がタケちゃんマンだからね。

当時のたけし、ひょうきん族、頻繁に休んだよね。するとさんまが、それをネタにからんでくる。ああいう場面でのさんまって「俺は全然悪くない全部そっちのせい」的な「憤」のオーラ全開。迷惑なんだよって正論まくしたてているだけなんだな、きほん。あれってたけしがオロオロするからイイんだよね。ツッコミ役のタケちゃんが逆にツッコまれてる!的な。

で、たけしの破滅的な超自戒派的なとこはシゴト休むくらいじゃ終わらない。フライデー事件。落ち着いたかと思ったら、こんどはバイク事故。あの事故直後さんまの胸中察すると、「リアル絶望大王」って見立ても辻褄あってる気がする。結局たけしは生還するするわけ。さんま、そんな無茶苦茶なたけしを見てて、自分に憑いてる死の影なんてどーでも良くなったんじゃないかな?それこそ生きてるだけで丸儲け的な境地っていうか。

タモリが「絶望大王」っていうのは、「看取る人」ということ、たぶん。臨終から逃げない。逃げられないと諦めている、という塩梅かな。だから、タモさんからすると、さんまのジタバタぶりがカワイく映ったかも。

この本の語るタモリってなんかシックリこないっていう人も多いはず。で、実はそれでイイと思う。だって「好き」モード全開主観バリバリに語っているだけだし。
いやいや、タモリってそう絶望ばっかじゃないよって、アレは88年のテレフォンで。。。。って、それぞれのタモリを語るといい。つまり、この本はそのキッカケ。居酒屋、うどん屋、坂道、あるいはネット界隈でそれぞれがそれぞれの「タモリ」を語り始めればいい。そしてタモリ論百花撩乱になったとき、取り逃がして続けたあの人の前髪をボクらは引っつかめるかもしんない。



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