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◇「魔女の宅急便」に似ている。トンボも二郎、ふたりともメガネ男子。二作はほぼ同じハナシで、裏表の関係と感じた。「魔女〜」が女の子メインの物語。本作「風立ちぬ」は男視点の筋立てという感じ。
宮崎駿は、天変地異を天罰と捉えるような発想からほど遠い作家だと思う。風も嵐も津波も自然界にあるエネルギー、その表象というぶっきらぼうさで描かれる。
カラ梅雨。天気雨、竜巻。お天気予報士は、予報など出来ず事後的にそれを語ってばかりいる。それは異常気象が未だ謎であるという証拠だ。自然界には謎の力がみなぎっている。宮崎アニメには神の気配は薄い。が、自然に充満するエナジーのにおいはプンプンする。
アニメ作家にとって突風とは何か?単純に異常気象は便利だ。作中で突然雨が降ろうが、地震が起ころうが不自然さはない。自然現象は予期し得ないから。アニメのなかの突風は自然のそれとは違う。監督が吹かせたいから風が吹くのだ。作中の突風た悪天候はなどは、完全に作家の意図的なもの。作者の作為を消しつつオハナシ進行する。それがアニメのなかの悪天候の役割だ。
「風立ちぬ」、二郎にとってサバの骨はゼロ戦を開発する上での「大切な鍵」。彼はそれを直感している。けれど、鍵穴見つからない。
同様な設定が「魔女の宅急便」にもある。キキの箒がそれだ。空を飛ぶことがキキの魔女としてのアイデンティティ。けど飛べなくなることで焦るキキ。彼女は助走を付けて無理矢理飛ぼうと試み、箒の柄を折ってしまう(ハナシ運びも二郎の試作機が木っ端みじんになった回想を考えるとほぼ同じ流れ)。
この二つの「大切な鍵」は、二郎とキキにとって直感的に鍵と認識されているという意味で等価だ。また、その直感が間違っているという意味でも同じ効能がある。二郎の場合、骨以外の部分が盲点だった。キキの場合トンボを助けようと街なかでデッキブラシを借りそれで飛ぶ彼女。ほうきでなく、股がる「気持ち」を彼女が見落としていのだ。
魔女、キキがデッキブラシで飛ぶシーンは彼女が一人前の魔女になる感動的な場面。トンボを助けたいと思う気持ちが彼女を飛ばした。つまり、魔女にとって大事なのはほうきでなく、その気持なのだ。じゃあ、その気持とは何か?
「風立ちぬ」の菜穂子。高原の結核病院を抜け出し二郎のもとにやっている。二郎を助けたい衝動が彼女をそうさせたのだ。キキと菜穂子。ふたりの気持ちは恋愛のそれではない。たぶん母性だ。レプカやエボシ御前など宮崎作品に登場する人知至上主義の連中は、結局自然の猛威に勝てない。天変地異に拮抗できるパワーは、母なる愛だけ。そういうトーンが「風立ちぬ」にも確かにあった。
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