樋口毅宏著「タモリ論」感想。


◇きほん個人的なタモリ観の披露なんだけど、全然いやでない。脱線しまくりの本。なのにドンドン引込まれる。楽しいのに切ない。小躍りしたい気持なのに哀しい。とにかく単純にああ面白かった!じゃ片付けられない本。

ド直球のタモリ論というわけでない。たけしや明石家さんまについて語り、彼らとは異質の空気をまとい、お昼番組に君臨する男(タモリ)に迫る魂胆。
外掘としてたけし、内堀のさんまという体。堀うめて、本丸タモリを攻め込もうという算段。まあ別に城攻めにたとえ必要もないか。

おそらく、テレビ追悼の意図もあるっぽい。というか、この本、赤塚不二夫の葬式でタモリが読んだ弔辞をなぞっている風。タモリがお昼の顔として抜擢された80年代から今にいたるテレビについて語る。それはふつうにテレビ鎮魂歌になってしまうんですヨ的な。人がわるいといえば悪いかもしれない。けどこれは愛嬌の部類。

一番ガツンときたのは、明石家さんまの章。堺正章主演のドラマ「天皇の料理番」にさんまが堺の同僚役で出演しているとか。吉本は当初さんまを俳優として売り込んでいたというのが、著者の見解。

そもそも初期のひょうきん族でも中途半端な二の線という立ち位置だった、と著者。島田紳介が仕切るひょうきんベストテン。いくつもの夜を越えて」の嘘リクエストハガキ階段。それが崩れて埋まるオチ。そのオチは、さんまにあまり期待してない現場の空気のビンビン反映しているんだという見解。

そういえば、江川とのトレードで阪神に移籍した小林繁の形態模写、さんまはよくやっていたな。アレ、たしかにオチがなかった。あと僕はリアルタイムで観てるわけでないけど、関西毎日放送の「ヤングおー!おー!」。アレで出演者がトランポリン跳んだりするコーナーあって、ああいう場面でのさんまの役回りは確かに二の線だったクサい。「志村ぁ後ろ後ろぉ!」なドリフな声援とはやっぱ違う。圧倒的に黄色い声援、女の子のキャーキャーだった印象はある。

結局タケちゃんマンの敵ブラックデビル急遽抜擢でブレークを果たすさんま。けどそれ以前の彼はサエない寡黙な芸人だった、という著者見解。うむー。。。
ぼくは宝島のさんまのインタビューを読んでいる。84、5年あたりの号だと思う。この号で、さんまは自身が元々ふつうに面白い兄ちゃんだったと語っていた。パチンコ屋の場内アナウスのバイト。仲間の代打で代わり行くさんま。その喋りがメチャメチャ面白くて、「兄ちゃん来週も来てや」とパチ屋店長に言われたとか。客を放さない当時から話芸が当時からあったというエピソード。師匠の松之助からも「オマエはテレビむき」だと言われた、とさんまは喋っていた。

京進出に際し、吉本はさんまを二の線で売ろうと考えたのかもしれんない(関東にルックスのいい芸人がいないという判断?)。実際、ひょうきん族でのさんまの当初の扱いをみても、二の線売り込みはあったかもしれない。するとぼくが読んだ宝島のさんまインタビュー、アレってどういう位置づけになるのか。

さんまには死の影がつきまとう。

独断偏見っぽいけど、著者のさんま観になるほどなと唸った。つまり大ブレーク以前のさんまには謎があって、ほの暗さがあるということ。ん。これって曲解?なんか、タモリの本なのにさんまのくだりで過剰に反応してしまったな。いや、そういう謎、鬱々としたもの、出っ歯のウラに潜む暗さをを抱えた存在として、明石家さんまにフォーカスせずにタモリ語れないということだよね、きっと。



タモリ論 (新潮新書)
タモリ論 (新潮新書)樋口 毅宏

新潮社 2013-07-13
売り上げランキング : 135


Amazonで詳しく見る
by G-Tools