○宮村治雄「丸山真男『日本の思想』精読」(ISBN:4006000421)読み中。

論文集「戦中と戦後の間」(ISBN:4622003910)。そのタイトルは、尊敬する思想史家、ハンナ・アーレントの「過去と未来の間(BetweenPastandFuture)」(ISBN:4622036487)にあやかったものと丸山があとがきで述べているとのこと。
宮村は「過去と未来の間」のさわりの部分を引用し、ハンナ・アーレントの「今」という時とは、単なる刹那としての「今」ではなく「過去と未来の裂け目」の中で普遍的な意味を持つ「今」であり、丸山がその歴史認識を継承を意図した指摘する。
歴史は過去の解釈であるがゆえに、歩むべき未来への指針となる。歩むべき主体は「今」ある全ての人々だ。
司馬遼太郎は、近代日本の発露を幕末維新に求め、下級武士のメンタリティのなかに「近代日本人」を発見するわけであるが、武士という近代以前の階級に依り掛かったその史観は、彼が大好きな近代的な思考とはいささかズレがないか。
今日、下級武士の末裔たる「日本人」は司馬の余話に安寧な「過去」を貪り、刹那的に「今」の消費に余念がない。司馬の夢想とは逆に、旧弊的な価値の中に踏み留まり、日本の未来を切り開く原動力にはほど遠い。
司馬史観の欠陥とは、司馬チルドレンが「立派な守旧派」に回収される点にある。
つまり、司馬は「過去と未来の裂け目」の中で普遍的な意味を持つ「今」を喚起するに至らなかった。もはや彼と彼の読者は討伐される側にある。