黒沢清監督「トウキョウソナタ」感想。



黒沢清監督「トウキョウソナタ」。テーマは「嘘」だと思った。「家族」というフィクションと言ってもいいかもしれない。
会社をリストラされた男、佐々木竜平(香川照之)は、妻にそのことを言いそびれる。そして、クビ後も出勤するフリを続けている。
言い出せないのはクビを認めたくないという現実逃避か。あるいはクビになったと打ち明けることは、自分で自分の人生を否定行為と考えているのかもしれない。無意識的に。だから、背広にネクタイのウソ出勤は、竜平にとってじぶん自身をごまかす方便といえるだろう。

佐々木家の長男貴(小柳友)が、突然米国の傭兵部隊に志願すると言い出す。むろん父親である竜平は反対するが、貴の大義名分めいた志願理由に反論らしい反論ができない。
なぜ、父親として一喝できなかったのか。それは竜平自体が壊れる寸前だから。竜平という存在は、背広とネクタイを礎に築かれた人格なのだ。それが今やリストラされ、うそ出勤する体たらく。むろん家族はそうとうは知らない。けど、嘘の効力は付いている当人が突き通してこそはじめてテキメンに発揮するのだ。肝心の竜平には、嘘を突き通す拠り所がないのだ。拠り所だった背広とネクタイが空手形になったのだから。

だから、ピアノが習いたいと言い出した次男の健二(井之脇海)に対して、竜平は「ダメ」と一喝する。この「ダメ」は次男を思っての駄目出しではない。じぶんの威厳を守るするためのみじめな駄目出しだ。もはや威厳もなにもあったもんじゃない。
健二も「はい、そうですか」とはならない。彼は給食費からクスねて月謝を工面し、ピアノの個人レッスンに通い始める。

次男の健二と父親の竜平は、やっていることは学校や会社に行くフリという意味で家族をあざむく嘘であり、上っつらは似ている。が、健二は、ピアノを是非本格的に習ってみたいという積極的な気持ちからの嘘。対して、竜平は面子や対面にこだわたる単なる自己保身のため。つまり自分をごまかす嘘でしかない。親父は明後日の方向すら見てない。彼は徹底して後ろ向き。ようするに過去に執着している。

佐々木家の妻、恵(小泉今日子)は、家族のなかの自分の役割になんとなく飽き始めている。長男を成田行きのバスの待合所で見送るシーン。長男は、「離婚しちゃえばいいのに」と母親の理解者としての本音を切り出す。恵も、長男のやさしさを受け止めつつ「言うほど簡単でないのだ」と諭す。
佐々木家の妻や母という役割。それを辞めるなんて簡単でない。だから強盗に人質とされて連れ回されたとき、彼女はこの強盗に賭けてみようかなと思ってしまう。けどこの強盗(役所広司)がまたぜんぜん腹がすわってない。恵は「やっぱり、言うほど簡単じゃない」と人生をのろったかもしれない。

結局、竜平にも恵にも健二にも佐々木家の誰にも逃場所など無い。志願兵とやらで家族から逃れた貴もきっとこの家に戻ってくるはずだ。つまり、やり直すのは自分の人生でなく、家族の在り方なのだ。

ラストの音大附属中学受験のシーン、ピアノ実技の試験会場。次男が演奏開始。「月の光」。なかなか筋のイイ生徒だというあんばいで、学校関係者がピアノの周囲にどんどん集まってくる。次男は佐々木家の希望足りえるだろうか。
そう問うのはやはり野暮かもしれない。竜平たちはここ最近それを学んだのだから。嘘は突き通してこそ、その効力を発揮し、それが希望にすらなるのだ、と。



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