吉高由里子主演「横道世之介」感想。


◇初っぱな、PePe方向から撮った新宿西口の遠景。ベルリン界隈の天使ならこんな場合アルタのようビルの屋上手すりにすわっているのだろうが、東京の天使はそうではない。ヤツは駅入り口から出現する。鉄道に揺られ長崎から遠路はるばるやってきたのだ。あの時代の、ノンポリな、無垢さ全開で。
西口に降り立ったのは西武新宿線沿線の下宿アパートに向かうため。
羽のない天使。
そう、それが横道世之介なのだ。タイトルに反して、この映画は世之介の映画でない。作り手の狙いは、世之介を媒介として往時の若者のノーテンキな青春を群像的に描こうとしたのだ思う。おそらく世之介とは80年代の若者を俯瞰するのでなく、同じ目線で見つめるための装置なのだ。
事件的なものはなにもない。あるのは些末な等身大の悩みだけという有り様。バブルもまだ崩壊前夜で就職も心配ない。そんなノホホンとした時期の青春群像。
ALWAYS 三丁目の夕日」が昭和ノスタルジーだとしたら、「横道〜」はバブルノスタルジーだ。いやそうでない。ホイチョイ・プロダクション的バブル期懐古趣味的からこぼれ落ちた者たちの有り様だ。無論バブル景気に浮かれた。いや流されたというべきか?世之介も、世之介の周囲の人々も80年代という波に翻弄された「ボートピープル」だった。
ノホホン時代の青春群像、狙いはそこだった。けれど、この映画、吉高由里子演じる与謝野祥子という一人の女性のドラマに収斂した。
なぜ与謝野祥子の物語になったのか。それは演じる吉高由里子の演技の強さのためだ。
ラストのシーンは「フィクサー」のジョージ・クルーニーを彷彿させる。タクシーの車窓越し、かつての自分と世之介を見つける与謝野祥子。タクシーは緩やかに走り、かつて自分たちはどんどん小さくなっていく。彼らを見届け進行方向に目を転じる与謝野祥子。愉しそうな顔。決断。迷い。スキという無垢な気持。そして別離。大人になった祥子はそれらを丸ごと抱きしめるだけの度量を今兼ね備えている。笑顔はその証。とどのつまり、世之介とは人生の異名なのだ。


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