元木泰雄著「河内源氏 - 頼朝を生んだ武士本流」感想。
(中公新書)


摂関家の神通力も衰え、院、天皇摂関家。三つどもえ、あるいは寺院を巻き込んでの四つともえの政治がゲーム化一途をたどり、地方は云うにおよばず洛中の治安まで悪化を招いた平安後期、軍事専門の貴族として頭角を現したのが武士だった。そもそも連中は治安維持部隊でヤクザ的抗争のための兵隊ではなかった。
地方における治安維持とは大概領地を巡るイザコザで、徴税が速やかになされるよう武士が派遣された。派遣された武士は都の勅使だから「エライ」、「言うこと聞かんといかん存在」のではなかった。連中は手下の郎党を引連れ現場に乗り込んだ。つまり、都からどっちに付くか分からん新たな武闘派やってきたという塩梅。イザコザは停戦となったはずだ。しかし、それは上っ面で水面下では味方に付いてくれとの打診が派遣武士に双方からガンガンあったと思われる。
こうした状況下で当事者だけでなく、周辺勢力の空気も読みつつ事態を収拾するのが優れた武士の才覚だった。それは単に暴力集団の長であるというだけでなく、院、天皇摂関家のそれぞれに強いコネがあることが重要なファクターだった。
要するに、当事者の抗争する土豪層は単に打ち負かすことで領地を拡張するよりも、権威のお墨付きで領地の盤石化を打算したということ。
三すくみのこう着状態。体力勝負の持久戦で荘園拡張が必至となった中央政界と自力救済を根本しながらも、際限のない戦は避けたい東国の空気。両者は別世界でありつつ、お互いがお互いの都合で必要だった。別の見方をすれば、土豪がどんぐりで戦力拮抗状況という東国の有り様が河内源氏の彼の地における基盤を築く契機となったというべきか。
保元の乱、そして平治の乱。この二つの戦は武士の時代を告げる勝鬨だった。が、義朝個人とっては束の間の絶頂と転落を意味した。その人生は前九年・後三年の役における栄達と躓きと彷彿させる。河内源氏のツキのなさ、無念というには喜劇的ともいうべき一進一退がお家芸的ループと義朝も無縁ではなかったわけだ。兎に角、嫡男頼朝が生き残った。八幡様のご加護はまんざらではないということか。真なる勝鬨の声は近い。


河内源氏 - 頼朝を生んだ武士本流 (中公新書)
河内源氏 - 頼朝を生んだ武士本流 (中公新書)元木 泰雄

中央公論新社 2011-09-22
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