○贔屓のチームと心の安定


◇ボクの贔屓チームはオリックスバフォローズだ。去年たまたまオリックスの試合をテレビで観て魅了され、バファローズファンのボクが誕生した。
今期専らテレビ観戦だが中継がある場合、ほぼ欠かさず観ている。
プロスポーツの贔屓チームを持つということには功罪があると思う。贔屓チームは、そのスポーツの持つ魅力や醍醐味を鮮烈に伝える窓のようなものだ。ボクら観客は、贔屓チーム側で試合を集中的に見つめることで漫然と見ていたとき気づかなかったプレーや作戦、心理的駆け引きなどがまざまざと了解し、より一層チームが好きになるのだ。そして、我々はスポーツを通し、勇気や決断力、忍耐といったスポーツ以外の生活の現場で必要な力を学ぶのだ。
功罪の罪、それは贔屓チームの勝敗に一喜一憂する勝敗依存症だ。贔屓のチームを持つということは、勝敗の一喜一憂と疎遠ではありえない。我がチームの勝利は気分を高揚させ、連帯を生み、その連帯がさらなる高揚を生む。逆にチームの敗退は、勝利を逃したげんなり感にさいなまれる。
ここ最近、岡田オリックスは勝ち運から見放されている。ボクの抱える歯痒さは上で述べた勝敗依存症のそれだと思う。ボクは冷静を装っているが、実は勝ちを渇望している。贔屓の負けがコミだすとファンは一層勝利を渇望するのだ。というか、勝利の気持ちよさを渇望しているというべきか。
冷静に考えば、贔屓チームの勝利は結局他人の勝ちだ。連中が勝つことは彼らの年俸の評価に繋がっても、ボクの給料になんら関係ない。というか、応援は無償の行為なはずが、報いを求めている自分に気づいてはっとする。
結果に拘泥するでなく、負け要因を精査し把握する。不運続きの贔屓チームとの付き合いからボクが見つけた苦肉の策は敗因分析だ。それはその試合毎の潮目のようなものもあれば、恒常的な負け要素もある。今オリックスで深刻なのはたぶん後者のほうだ。具体的にいえばT岡田の不振だろう。
ボクは、彼に対する相手の攻め方、配球をチェックし打ち損じ、あるいは三振に倒れている現状を詳らかにしたい。また、そうした配球に対するT岡田への処方箋を提案したい。つまり、闇雲に勝ちに酔いしれるでなく、かといって負けを大袈裟に嘆くでないボクなりの応援、ボクとバファローズの間合いというものを確立したいと思う。


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