○後藤正治「牙―江夏豊とその時代」
(講談社 ISBN:9784062749862)


「牙 -江夏豊とその時代-」は、ノンフィクション作家・後藤正治江夏豊を材にとった読み物です。
いわゆる「ノンフィクション」。これが結構厄介で、「まったくの作り話じゃないよ、取材したから」というニュアンスのカタカナ日本語です。
60年代。マスコミ界隈でニュージャーナリズムという旋風ありました。その手法は客観姿勢をかなぐり捨てて、対象に共感したり、立腹したりする人間味溢れるスタイルです。これがベトナム戦争とか学生運動とかヒッピーだとか時代の気分的にがドンピシャでだったのです。田中ロッキー疑惑を暴いた立花隆さんの活躍はまさにそうした旋風がおこした「金星」だったということです。
で、今日「ノンフィクション」と今日呼ばれるものはその孫みたいなもの。だから大概の著者は新聞・雑誌の記者出身だったりという感じです。
後藤正治「牙―江夏豊とその時代」。本書は江夏について書いたものではありません。
当時の若者というか、まだ若者だった後藤さん自身が時代の転換点というか学生運動的な挫折から立ち上がろうとするとき、プロ野球のマウンド上で一際輝いていた投手がいた!それが江夏豊、その人だったといハナシです。
一匹オオカミ。
たしかに江夏豊はそういう人に見えます。けれど、豪腕な江夏を見てないぼくと後藤さんの「一匹オオカミ」は違うようです。江夏は江夏であり、あの時代のニオイや傷みであり、あの頃の球場の歓声後であり、バイト先の喫茶店の客の呟きだったりするのです。むろん後藤さん自身でも。
阪神のエース村山との確執、王貞治という打者への闘争心、豪腕から技巧派への転向等々。野球選手なら、投手なら誰しも経験しそう出来事。そんなものでも「江夏が当事者である」というだけもの凄い緊迫感がピーンと張りつめます。むろん後藤さんの思い入れがそういう江夏像をこしらえているフシはあります。そう思っていても読んでる最中ぼくは、ぼくでなくなりました。後藤さんと同化し、江夏の心境と投球に心の琴線を奮わせました。江夏豊というだけでご飯4、5杯いけそうな感覚というか。
ところで、「ノンフィクション」。本屋的には、これはもはやジャンルとして機能してません。後藤さんならスポーツコーナに積まれるだろうし、沢木耕太郎さんは文芸コーナーだし、佐野眞一さんは近現代史のコーナーとか。まとまって棚があるという感じではないのです。本屋で棚がないのは、「ノンフィクション」が看板として「古くなった」からだと思います。
かつて時代を席巻したニュージャーナリズムという運動。その末裔たるノンフィクションの今的現状をおそらく後藤さんは知っているでしょう。けれど後藤さんはスタイルを変えないのです。「松坂世代」という言い回しを耳にしたことがあるかと思いますが、それは別に選手に限ったことでなく、観る側にも同世代がいるわけです。
オレは「江夏世代」じゃ!
後藤さん、本書で密かに絶叫しているのです。そんな気がします。


牙―江夏豊とその時代 (講談社文庫)
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