○変化拡散するヤンキー、あるいは木下優樹菜 - 五十嵐太郎編著「ヤンキー文化論序説」感想 
(河出書房新社 ISBN:9784309244655)


五十嵐太郎、専門は近代建築史。著書「新宗教と巨大建築」は、近代日本の建築史において、鬼っ子扱いをうけ、無視されていた新興宗教建築を考察したエッセーで、出版界周辺で好評を博した。
ヤンキー文化論。
一見ネタっぽいが、モダンを阻める環境、メカニズムへの関心という意味で、正真正銘五十嵐太郎的な問題事項だと言えるだろう。
正味なハナシ、暴走族やリーゼントに改造学ランのツッパリは、デッド・データ・アニマル状態だとか。
本書はヤンキーの時代変遷を辿りつつ、斉藤環宮台真司、磯辺涼、速水健朗サブカルチャー猛者たちが今日的ヤンキー事象を各人的視点で語る体裁をとっている。まぁ言ってみれば、ヤンキー的美意識に着目した日本文化論集というあんばい。で、実はヤンキー、意外としぶとく、手を変えシナをかえ各所でシノギけずってるようだ。つまり木下優樹菜とは、今日的ヤンキー変化(へんげ)拡散化のシンボリックなサンプルということ。
ところで、日本文化論というものは、○×式の「日本万歳」、「日本ダメ出し」の輩と親和性が高く、左右の「翼」の餌食となりやすい。むろん本書寄稿者は、そうした「翼」放言の陶酔性に呑まれるほどヤワではない。
けれどキッチュさや悪趣味という点から、ヤンキーと歌舞伎の関連を云々するのは、ちょっと筋が悪いと思った。何故って、これだと、悪趣味=日本的伝統という倒錯を招きかねないから。
五十嵐太郎に引きつけて言えば、悪趣味とは反近代的な様式へのアプローチで、天理や大本などの新宗教は、明治政府旗ふりの近代化から弾きとばされた人々を救済するよう機能した。つまり新宗教建築が悪趣味あるのは、近代化に対する異議申し立ての具現で、それなりの道理があったのだ。
だから、暴走族とかヤンキーという集団は、社会的セイフティーネットの側面があるんじゃないかということ。踏み込んで言えば、ヤンキーは、誰を救済したのか?ってハナシ。この「ヤンキー文化論序説」、そういう大枠設定で読むと案外吉っぽい。
ま、言っての序論、入り口に過ぎない。けれど、女子雑誌に脈々受け継がれるヤンキー魂、デコチャリは、族でなくデコトラに繋がってる、行間から漏れまくりな対談中の都築響一の不機嫌さ、インテリアデザイナー森田恭美通って誰?、ヤンキー文化の根源は二面性を持ったキャラ、等など一触即発、百花撩乱的ヤンキー考察の乱れ撃ちは圧巻っぽい。
ぼく個人の趣味では、「ヤンキーはベンチャー精神旺盛」という近田定義がツボ。で、速水健朗「一九六八年にヤンキーという思想の誕生を見る」に完全シビレた。
しかし、ぬか喜びに興じるヒマはない。いま世間に遍在する木下優樹菜は一層勢力を拡大しつつある。アレはいまどきの天使なのか?それとも手あかマミレの見世物興行か?つーか、中身は実質亀田親子じゃないのか?
優樹菜は永ちゃんに会いたがっているそうだが、会わせていいのか?永ちゃんと優樹菜、出会いガシラになんかの箱のフタがパカっと開いたりしないのか?
待ってるぜ、速水っ。




ヤンキー文化論序説
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