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なぜ仏像は尊いのか?
仏像は寺の本尊だったり、本尊の引き立て役だったりする。
寺で仏像に出会うと、たいがいの日本人は自然と手を合わせてしまう。俺も生まれてこのかた三、四十回は拝んでしまってる。敬虔な仏教徒でもないクセにだ。
なんで仏像は拝まれるのか。
ご利益があるから?
前を素通りするなど邪険に扱うとバチがあたるから?
たしかに仏像のかもす心理的なプレッシャーというのはある。けどそれだけが仏像が拝まれる要因ではないと思う。
仏像は立体細工であるがゆえに拝まれる。
俺説を有り体に言えばそういうことだ。よくよく考えてみれば、仏が何故像である必然はどこにあるのか?画でもイイはずだ。いや画で十分だ。しかし仏画が本尊である寺は、像が本尊である寺よりも圧倒的に少ないはずだ。つまり寺側は画より像のほうが仏の威光を示しやすいと踏んだのだろう。
なぜ画よりも像なのか。それは像が画より希少だからだ、六世紀頃、像をつくる技術は、渡来人と親密な豪族によって寡占的に支配されていた。おそらく当時の造像術は道具も含め門外不出の秘伝だったと思う。つまり仏像はそう易々と作れるモノでなかった。しかも人形の像をつくるのだ。像が与えるインパクトは桁外れだったことは想像にかたくない。
大陸渡来の造像技術は、当時の人々にすればまさに魔法だった。だから仏像とは魔法のたまもので、それゆえ希少で尊かったのだ。
別の言い方をすれば、仏教伝来当初においても、仏像は信仰からではなく、圧倒的に高い技術ゆえに拝まれたということだ。じつはこの視点、現代の俺らの仏像に投げかける目線にも通じるものがある。我々もまた信心から仏像を拝んでいるわけではない。緻密な出来映えを宗教的な荘厳さと読み違え、その結果に拝むというテイをとってしまうのだ。
なぜ仏像は尊いのか?こと本邦では仏像は技術の粋であるゆえに一目置かれる価値を宿した。
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