○守護神が幼児だった頃


まだ人生経験の浅い少年のような顔立ち。興福寺八部衆は、仏法につかえる神でありながら人間的な容貌している。
沙羯羅(さから)にいったっては、まるで3、4歳児だ。
蛇が頭のテッペンでとぐろをまき、尾っぽを左肩に這わせる幼児の像。それが沙羯羅だ。
見ようによっては、子どもが蛇に巻き付かれている風だ。しかしさにあらず。沙羯羅とは龍、あるいは蛇の化身なのだ。
だから、どちらかが本体というわけでなく、幼児と頭上の蛇は一心同体の沙羯羅なのだ。
ところで、がんらい興福寺摂関家藤原氏ゆかりの寺でそれゆえにとばっちりを被ったりもした。寺にとっても日本史的に重大な事件は、治承4(1180)年、源平の争い端をはっする南都焼討だろう。寺はこのとき大半の伽藍がうしなった。
しかしそんな平家も壇ノ浦で敗れ、かわって覇権を握たのが源頼朝だった。鎌倉期、興福寺も焼跡から立ち上がり、復興の道を歩み始める。
仏像製作の面では、あの運慶一派が大いに腕を奮った。四天王や金剛力士の像がそれで、筋肉隆々で血管も浮き出、背後に布っぽいものがたなびく劇画的躍動感溢れる像の流行到来だった。
この時期の興福寺の仏師たちは、おそらく身近な僧兵をモデルにワイルドな仏像をガシガシこしらえたのだろうとぼくは想像する。もはや八部衆の少年風なスタイルは顧みられなくなっていた。ましてや幼児の顔立ちなど当然論外だった。
別の言い方をすれば、興福寺の沙羯羅こそ、武家台頭以前の貴族趣味を幼児顔で体現した像と言える。




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