○その名も「人や否や?」


緊那羅(きんなら)は、インド神話でも同じ発音で、サンスクリット語で「人や否や?」の意味だという。
人や否や?というのが名前ぐらいだから、古代インドのキンナラも人とは異なる特徴をそなえていた。それは上半身が人で下半身が鳥。あるいは上半身が人で下半身が馬といった異形だった。時代を経るにしたがい、キンナラといえば半人半鳥の夫婦を指すようになったとか。
興福寺八部衆緊那羅は鳥や馬を表す記号要素は見当たらない。だがその代わりといってはなんだが、額に第三の目があり、その額からの延長線上の前頭部にツノがある。「人や否や?」を鬼と解釈したのか。
八部衆には正体不明の像がいくつかあるから、緊那羅くらいの本家との隔たりは、まだマシなほうか。
当時仏典は誰もが気安くにアクセスできるものではなかったはずだ。というか、中世ヨーロッパで教会が聖書の教義解釈を独占したように、往時の日本も仏典アクセスは厳重に管理され、少数のエリートが仏典とその解釈を寡占的支配していただろう。
だから仏師たちは仏法に帰依しているというより、仏法の威信を借る上層階級の下僕だったとぼくは思う。おそらく当時の彼らは、説法を聴いたり、仏典のひもとくような暇や権利とは無縁に暗中模索で像を製作していたのではないか。
たよりになるのは、先輩のこしらえた仏像仏具や現場監督の口頭指図だけ。そうした僅かな光明を手がかりに、ツノをつけたり、鳥に鎧を着せるといった具合に像はつくられたのだと思う。
八部衆とは、仏師たちの試行錯誤そのものだったかもしれない。




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