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○原武史「大正天皇」感想その3
(朝日新聞社 ISBN:9784022597632)
http://d.hatena.ne.jp/yasulog/20090320#p1 より続き。
1921年、首相原敬が暗殺に倒れたため大正天皇の病状発表に関する主導権を牧野伸顕が掌握した。原敬が病状についてのみ公表する方針をとったのに対し、宮内大臣牧野は病名の公表に踏み切った。侍従武官であった四竃孝輔は日記で摂政を設置し公務に支障のない現状にもかかわらず、わざわざ天皇の病名を暴露する牧野の方針について怒りのこもった記述を残している。21ページより引用(括弧内現代語訳はヤスlog仕様)
宮内省の言う所、信を措くに由なしと世上の攻撃ある場合、宮内大臣如何なる釈明をなして世に謝するを得べきか。この発表無くば、世上或は聖上の御病患果して那辺に存せらゝやと揣摩臆測するものもあらんも此の臆測は放任して可なり。今や統治の大権施行を摂政殿下に託し給ひ、専ら御静養あらせ給わんとする聖上陛下に対し、なんの必要ありてか此の発表を敢えてしたる、余は茲に至りて宮相の人格を疑はざるを得ざるなり。然かも今日の新聞の如き、無闇に摂政殿下の御懿徳を賞揚し奉り、寧ろ皇太子の御孝心を傷つけ奉りしもの多々あるべき記事を以て、新聞紙の全面塡むるものあるは痛嘆措くに能わざる所をなす。
(宮内省の発表を信用する根拠がないと世間が攻撃した場合、宮内大臣はどのような釈明を世間になしうるだろうか(否釈明の余地はもはやない)。 病名暴露のこの発表をしなかった場合、世間はおそらく陛下のご病因はなんだろうと当て推量しただろうが、そんな世間の臆測なんか放っといてもいいものなのだ。今日統治の施行は摂政殿下に託して、静養に専念されている陛下に対して、なんの必要があってこのような病名発表を敢行したのか、ここに至ってわたしは、宮内大臣の人格を疑わないわけにはいかない。そのうえ、今日の新聞のような、むやみやたらに摂政殿下の美徳を賞揚し、寧ろ摂政である皇太子の親慕う気持ちを傷つけてるような記事で紙面が埋め尽くされているのをみるにつけ憤懣やるかたない。)
まあ確かに今こうして歴史を振り返ってみると、牧野の大正天皇になした方策が笠谷和比古いうところの主君押込めにダブらないわけでもない。しかしそれでも牧野が積極的に大正天皇を押込めたと見るのはムリあると思う。事実そうであることと看做すことは違う。だから「大正天皇」の価値は、皇太子時代の地方視察で、飾らない人柄を振りまいた、チャーミングな大正天皇を国民総忘却から召還した点にあると思う。
原武史の著作には司馬遼太郎作品に相通ずる芸のにおいがする。
はてなキーワード「原武史」で「「大正天皇」の天皇押し込め説はトンデモ。」とあるが、ぼくも仮説立証にアクロバティックな展開がないとは言い切れないと感じた。時節柄、西松建設裏金事件を突破口にした小沢一郎に対する検察特捜部の捜査を彷彿させないこともない。
「筋が悪い」。
小沢秘書逮捕の一報をうけての保守系評論家宮崎哲弥のコメントがそれだった。「筋が悪い」とはゴールから逆算的に建てた入り口と段取りがスマートでない、という意味だと思う。
ぼくが司馬遼作品からうける印象はそれで、短編は巧いが長編は構想が杜撰なためか堂々巡りや脱線からさらに脱線する傾向が目立ち、笑ってしまう。合理的な思考を愛したとされる司馬遼だが、その割りには彼の長編作品は甚だ「筋の悪」さが目につく。「余談であるが云々」の例エピソード披露も読者は頭がよくなった感じがして気分いいが、一面衒学的な目くらましの歴史著述とは言えまいか。
原武史の著作も似た印象をうける。つまり、
「筋が悪い」。
とりわけ「大正天皇」はその傾向が顕著で、くだんのトンデモという批判は曲芸的仮説立証スタイルの急所をついていると思う。
ある意味司馬遼太郎ばりのアクロバティクな歴史記述の可能性と限界を本書は意図せずして露呈している。
そういえば、岩波新書で出された原武史の「昭和天皇」が司馬遼太郎賞を受賞した。この新書は「大正天皇」の推論前提で書かれているが、はたして賞選考委員の方々は「大正天皇」をどうのように評価しているのだろうか。
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