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○原武史「大正天皇」感想その2
(朝日新聞社 ISBN:9784022597632)
http://d.hatena.ne.jp/yasulog/20090317#p1より続き。
近代天皇制においてその二代目となる明宮嘉仁は仰々しさを嫌いカジュアルを好んだ。
筆者原武史は、嘉仁のこの性格の要因を幼少期里子にだされたことに求めている。つまり家族という一家団欒の欠如が根気や協調性といった社会生活を営むうえでの自制能力の形成に妨げとなったということだ。
また、思ったことを直ぐ口する点や大隈重信や原敬によせる無防備なまでの信頼など嘉仁のざっくばらんな態度は、明治天皇のような威光が微塵もなく、この点において「落第」だった。それは原も示唆するように明治天皇が学んだ革命を肯定する君徳重視の儒教教育を二代目の嘉仁にほどこせなかったことが一因だろうが、「家族」という小さな社会の経験の皆無も遠因だと思われる。
そうは言っても儒教的君徳の観点からの嘉仁の「落第」は、嘉仁というパーソナリティの否定しない。ましてや存在全否定でもない。むしろ思ったことを直ぐ口にするくらいだから表情は喜怒哀楽に富み、等身大の人間性、暖かみある人情を周囲にしめしただろうことは想像にかたくない。
たとえば皇太子時代の地方視察旅行だが、北信越順啓の際人力車で金沢市内をまわり沿道の市民をながめるるうちに、眼病トラホームに病む顔をいくつか確認した嘉仁は、金沢医学専門学校長で医者の高安右人と以下のようなやり取りをしている。以下「北國新聞」の記事部分を再引用(158ページより 括弧内の現代語訳はヤスlog仕様)。
皇太子 県下に流行病はなか
(県下に流行病はないのか?)
高安 目下別段猖獗(勢いの盛んなことー引用者(原)注)なるもの候はず
(もっかのところ猛威をふるっているようなものはございません)
皇太子 見受ける処群衆中には眼病が多いようぢやの
(観た感じ、群衆のなかに眼病が多かったな)
高安 当地方はトラホームが大流行にて小学生も多数之に冒され居れど、八種伝染病(腸チフス、赤痢、コレラ、ジフテリア、猩紅熱、痘瘡、発疹チフス、ペストを指す―引用者(原)注)の如く生命に危害及ばさざるより左程重視せらざるも、軍隊等に流行せば兵力に大なる影響を来すべく、撲滅予防法を講ずるには八種伝染病に規して法律を制定し取締まる外なかるべし。
(当地方はトラホームが大流行で小学生も大人数これに感染しています。八種伝染病のように命を落とすものでないのでさほど重くみてはいませんが、仮に軍隊に流行した場合は兵力に甚大な影響をあたえかねませんので、撲滅予防のためには八種伝染病のごとく法律を制定して取り締まるほかございません)
皇太子 (御首肯かせ給ひ)同じ伝染病ぢやに八種のみ八釜しく言てトラホームを等閑に附して置くのは内務省が不都合なのか。赤痢病はどうぢやの
((お頷きなられて)同じ伝染病なのに八種の方を厳格撲滅予防につとめてトラホームを放っておくのは内務省の不手際なのか?赤痢病はどうだ?)
高安 村落にて稍流行の兆なきにしもあらざれど斯は全国を通じての儀にあれば深く意に介する程にもあらず
(田舎のほうで多少流行の兆しがありますが、この兆候は全国通じてのことなので、ことさらこの地方のみで注意をすべきものでもないものでございます)
皇太子 左様か。流行病の外何か風土病でもないか
(そうか。 流行病以外になにか風土病はないか)
高安 先年佝ル病患者の多かりしも以前以前より存在せしを発見するに過ぎず
(先年クル病患者が多かったのですが、これは従来の患者がみつかっただけでございます)
皇太子 ソハ富山県であつたな
(そなたは富山出身だったな)
高安 仰せのごとく富山石川両県の国境に候
(仰せのとおり富山石川の県境の生まれでございます)
皇太子 お前は足が強いか
(足腰は丈夫か)
高安 余り強い方にあらず
(あまり強いとはいえません)
皇太子 医者が足が弱いやうでは尻が重くていけぬ
(医者が足腰弱いようでは尻が重くて良くないぞ)
高安 患者側より往診の早からんこと迫るゝため、日常人力車のみ使用する結果自然足も弱くなれり
(患者の方から迅速な往診の要望があるため、日頃人力車ばかりで移動しております。結果足腰が弱ってしまいました)
皇太子 旨く言ふな
(巧いこと言い抜けたな)
「遠眼鏡事件」。
大正天皇は幼少時より脳を患っていて、この病のため会議中に書類を筒状にしてそれを望遠鏡のように覗いたというような都市伝説は昭和の経て平成の今も流布している。
原の本書を書いた動機は、こうした大正天皇脳病説の一掃である。上記引用したように原が当時の新聞より地方順啓先での嘉仁の言動をピックアップするのは、その記事がつたえる嘉仁の言動はまったく常人のそれで、精神異常やその兆候など微塵もないことを明白にするためだろう。それどころか皇太子は洞察に富み、何気ないその弁舌は、ときとして政府批判の意味合いを含むものだったのだ。
筆者の原は大正天皇幼少期よりの脳病説は牧野伸顕らが意図的に流したもので、皇太子裕仁による摂政などの動きは、藩閥勢力による大正天皇の強制蟄居と捉えているようだ。
原は明治学院大学のセンセイで、筋金入りの鉄道ファンとしても知られている。そして彼には元新聞記者という経歴もある。日経新聞社会部新聞記者時代、当時宮内番として昭和天皇の病状報道にたずさわったとか。
そこで見聞きしたこと、感じながら記事には起こせなった事が原を近代天皇制をテーマにした日本政治思想史研究の道に向わせたのかもしれない。
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