海音寺潮五郎×桑田忠親「対談 戦国乱世」感想
(角川書店/角川文庫 ISBN:4041273099)


昭和44年8月に出た角川選書が親本で、この文庫版は昭和58年9月の刊。
昭和44年というのは、海音寺の代表作で同名小説を原作にしたNHK大河ドラマ天と地と」が放映された年。おそらく親本の角川選書はこの「天と地」ブーム、戦国フィーバーを当て込んで企画されたっぽい。が、対談者ふたりはそういう出版ビジネスの機微を察する様子もなく、戦国時代全般を人物本位でドシドシと大いに語る風情が愉しい。
歴史とは何か?
ぼくにとって、歴史は歌謡曲の歌詞のようなものだ。歴史を振り返るというのは、散歩中に歌を口ずさむようなことだと思う。
そうやって口ずさんでいると、ふとした瞬間、ある人物が今まで考えていたのとかなり違った姿で現れたりするし、また既知の事件が全然違った様相で出現したりする。
無意識であるにせよ今日を生きる我々にもそれなりの課題があり、ふと歴史を振り返るとき、これが一種の光線として歴史上の人物や事件を照らすのだ。ゆえに、英雄の冷静沈着な判断はもとより、往時の当事者の痛恨のしくじりもまた今日の我々にとって、かけがいのない潜在的な宝なのだ。
とはいっても、歴史に精通するその人が人格者である保証は、何もない。
本書の魅力はまさににそこで、対話の端々でのぞかせる海音寺の「近頃の若いもんは」的歴史学者へ嫌悪の噴射が個人的にはツボだったりする。本書25ページより引用。

海音寺 悪党という言葉は、今日とは概念が違うんですね。今日の学者のなかには、その概念が違うということを説明しないで悪党だ悪党だという人があるんだ。
桑田  強くて手に負えないやつらだ、という意味ですね。
海音寺 民衆の無知を利用してアジるんだ。学者的態度ではないな。

学者的態度ではない、とここで海音寺がやり玉にあげているのは、おそらく網野善彦だろう。「アジる」という表現にもいわゆる網野史観に対する海音寺の先入観をにおわせる。
思うに海音寺と司馬遼の違いはこのへんで、海音寺が歴史研究における民俗学的なアプローチをまったく受付なかった。対し、司馬遼は先天的な民俗学者だった。
こんにち、網野が切り開いた「複数の日本」というテーマは日本史を学ぶ者だけにとどまらず、さらに幅広い層に支持を広げている。宮崎駿アニメ「もののけ姫」や隆慶一郎作品はその一例だ。司馬遼太郎がいまだ読み継がれるのも、今日的世間の「複数の日本」へのシンパシーを司馬遼文学が受け止める度量があるためだと思う。
その意味でも海音寺の左翼を十把一絡げに糾弾する態度は痛々しい。
いやいや何も人格者ばかりがエラいわけではない。むしろ人格者は付き合っても無味乾燥でツマラナイ。逆に人格的にグシャっとなった人のほうが人間的魅力に溢れ面白みがあっていい。
そういう意味では桑チューこと桑田忠親もなかかな人間味があって食えない。当人は、家康はエラいかもしれないが好きになれないと吐露しているが、なにをいわんや、桑チュー自身が家康もビックリな底意地の悪い狸ぶりを発揮している。
桑田が、秀吉が北条氏征伐の小田原陣のとき愛妾だけでなく、芸人をいろいろ呼び寄せていて、未だ若くて刀研師の本阿弥光悦を呼んでいるのだと語っているくだり、71ページより引用。

海音寺 光悦もきているのですか。
桑田  ええ。そのことを発見しましてね、びっくりしたのです。
海音寺 まだ若いでしょう。
桑田  ええ。のちに、陶芸その他で大芸術家といわれる人物です。
海音寺 十七、八ぐらいですかね。
桑田  いや、永禄元年(一五五八)の生まれでから、三十三になってます。

三十三歳頃の光悦は未だ淋派の創始者としての頭角はみせておらず、その意味で「若い」という意味か。
「若い」という言葉につられた海音寺に十七、八歳くらいですか、と言わせておいて、三十三歳です、とさらっと否定する桑チュー。。。明らかに罠だ。人が悪いにもほどがある(笑)。



表紙カバーイラストは村上豊。画風確立されてるなぁ。