原武史「「民都」大阪対「帝都」東京」感想、その2
(講談社 ISBN:9784062581332)
http://d.hatena.ne.jp/yasulog/20090222#p1 よりつづき。


今度の来る代官様はオッカイナイ人だべか?
心配したとしてもそれくらいで、三百余年続いた徳川の世が瓦解したときも被支配層の百姓や商人連中が時代の栄枯盛衰を想い、センチメンタルになったはずもない。連中が驚いたのは、むしろその後だった。
身分制度がとっぱらわれたのだ。いわゆる四民平等というやつだ。村の全員が腰
が抜けるほどの衝撃だった。
そんな塩梅だから、天皇様がとてもエラい人だと言われたときも、下々の連中にピンくるのはこの四民平等で、さしづめ天皇様はこのお触れの発案者だからエラいのだろうと各々独り合点した。これが近代天皇崇拝の起源だったとぼくは考えている。
近代日本政治史における鉄道の役割の検証。それが本書「「民都」大阪対「帝都」東京」の主題であることは前に書いた。
では、一体鉄道の政治的意味合いとはなんだろうか? 
まず、維新政府のよりどころは天皇に他ならなかった。だから政府は天皇の威信の向上を願っていた。ある日政府内の知恵者が妙案を閃いた。帝都を中心に鉄道を全国津々浦々に敷設するという案だ。
四民平等とか廃藩置県とかそういう目に見えないものは、政府のスゴさを下々に知らしめるには効果が薄い。目に見える鉄路を敷き、駅舎をこしらえ、最新テクノロジー蒸気機関車が、おらの「村」や「まち」を疾駆するのとき、下々の者は政府のエラさにを心底痛感するという寸法だ。まちや村をに敷かれる線路、それをどんどん辿っていけば、あの近代化の権化、四民平等の親玉たる陛下のおわす東京があるってわけだ。
つまり政治権力は、己の威信拡充のために鉄道をメデイアとして利用したのだ。鉄道は乗り物であるばかりか、帝都東京から地方を照らす天皇の威光そのものだった。
しかし、すべての鉄道を敷き詰めるだけ財力的余裕は政府にはなかった。政府首脳は、うーんとうなり腕組みのままし固まった。そんな彼らに役人某が秘策を具申した。
「では、こう致しましょう。鉄道事業を認可制にし、民間に請け負わすのです」
小林一三の興した箕面有馬電気軌道(阪急の前身)も、このような経緯でうまれた鉄道事業請負だったはずだ。しかし福沢諭吉仕込みとも言うべき小さな政府主義者の小林は、為政者とは別の鉄道観を持っていた。
小林の闘いとは、むろん政府やその手先である役所との闘争であるが、根本的には国家観の対立があった。おそらく、国鉄線路を高架でまたぐように走る阪急電車は、小林の思想の具現化であったと思う。為政者サイドがそうであるように、小林もまた鉄道の見栄えのメディア的価値に気づいていた。
ところで、東京流の事業はずべてが政治の中毒であるという小林の言葉を前に引いた。けれども、政治中毒は小林の見立てに過ぎない。おそらく当時の大多数の見立てはそうではない。というか、小林は政治中毒の根源たる政商や役人の自画像をよく知らなかったのではないか。
陛下の代りに鉄道事業を運営し、ニッポンの近代化を押し進める臣下。
それこそが政商サイドの精神構造そのものだったのだとぼくは思う。連中は端っからぼろ儲けを企んだというより、近代化を志す臣下というのはけっこう儲かるもんだなぁと素朴に思ったのだけなのだ。その意味において連中は並の事業家だった。やがて近代化を志すこの「儲かる臣下」は爆発的に増殖する。
かたや小林一三。関西財界にあった彼は、その才覚に大輪の花を咲かせた。沿線の宅地開発と分譲販売、ターミナル駅へのデパート付設、宝塚歌劇団や阪急ブレーブスに代表される娯楽興行へ進出等など。こうした鉄道利用者へのモダンライフと消費文化を提供する複合的沿線商売の構築こそが小林一三が胸に秘めた鉄道ビジネスの本領だった。
たしかにそれは役所が発想できるものではなかった。というか民間においてもだれも発想しなかった。要するに、小林はたった一代で鉄道事業のビジネスモデルを創造したのだ。商才において向うところ敵なしの抜群の男だった。しかし、それゆえに小林は臣下の魔力が見えなかった。凡人の商売勘が理解できなかった。
民間に任せろ、商売に政治がクチをはさむとロクなことない。1929年、地上八階、地下二階で開店した阪急百貨店開業した一三スピリッツの集大成たるものだった。真新しい阪急百貨店は、阪急梅田の景観を一新すると同時に、旧態依然たる地上の大阪駅ホームをあたかも見下ろすかのように、そびえたっていた。
意外にも臣下たる気分と消費文化は相性がよかった。だから小林の敗北は、商売人としての負けでなく、徹底した小さな政府主義者・小林一三の負けなのだ。
彼が最もたよりとした大阪市民は、皮肉にも臣下たる生活様式を選んだ。小林は大衆に大負けに負けたのだ。それが関西私鉄王国の終焉だった。


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