○ボーメはほんとに職人なのか?


作者の伝説化に興味がある。生前大人気な者より、そうでなかった方が伝説化される。生前の人気は伝説化の妨げなのだ。生前の彼、彼女に関する情報が寡占的であることが伝説化の前提と言えるかもしれない。
伝説は死後に始まる。どんなに口達者だった者も死んでしまうと無口になる。周囲の連中は、コレ幸いと「思い出」と称して故人を語り始める。曰く、金にはひどく汚かった。曰く、頑迷な犬主義者で猫嫌いだった。曰く、本当はさびしがり屋だった等など。
私は見逃したが、先ごろNHK原型師ボーメを取材した番組やっていた(参照)。放送翌日、職場の同僚が寄ってきて、昨日のアレを見たかと言ってきた。
その同僚は、スティーブ・マックイーンをこよなく愛する男だ。おそらくジーパンの穿きこなしもマックイーン流のはず(けれど私はあえて立ち入らないようにしている)。ま、そんな川本三郎趣味というか、趣味がセピア色なので今日的なサブカル趣味とは全く無縁なご仁だ。その彼がボーメの番組を見たと言うのでちょっと驚いた。
いや見てないですと告げる私に、マックイーン氏は「彼は僕と同い歳なんですよ」と言った。
どうやら、マックイーン氏はボーメの職人気質に共感してるらしかった。だからってボーメと同い歳に意味があるかと言えば、「ない」はずだ。けど難くせ付けるのもなんなので、曖昧な相づちでお茶を濁した。
作家は作品を評価されるべきなのか、それともそれに取組む姿勢や信条を評価されるべきなのか。創作活動的には前者であろうが、テレビ的には後者が正解だ。作品より作者の「素顔」 が優先される。そういう意味でテレビにアートは語れない。
そして厄介なのが日本人好みの芸術家像ってヤツだ。「世事に無関心で、ひたすら求道的に作家活動に取り込む」といったイメージがそれにあたると思う。
ボーメの場合も典型的なこの餌食であり、それは「生きながらの伝説化」の始まりでもある。