タイモン・スクリーチ「大江戸異人往来」読了
(ちくま学芸文庫 ISBN:9784480091345)


日本は開闢以来ずっと中華文明の辺境にあった。そして文化、文物は海を越えてもたらされるという一歩通行の関係だった。遣隋使、遣唐使などの留学生はニッポン的なものを彼の地で広めてやろうなど野心した者など一切なかった。
そういえば、明治維新当時の西洋列強の技術や学問導入いそしむ姿は以前の遣唐使と全くかわらない。支那が西洋に置き換わっただけだった。
ようするに、日本には文化、文明は海の向こうからやってくるという気分が根強くあったのだ。だから江戸期鎖国とは、国を閉ざすという意味でなく、海外情報の幕府による独占を意図したものだったのかもしれない。
日本は中華文明の辺境にあった、と私は先に書いた。ではなぜ辺境に甘んじていたのか。それは日本が中華発信の文明を有り難がって吸収する立場を常としてきたからだ。
タイモン・スクリーチはイギリス生まれの気鋭の江戸学者。旧弊な文字偏重を廃し、絵画、挿絵、スケッチなどの視覚資料の資料価値の可能性を切り開いた意味で彼の貢献はデカい。
本書の主題は、江戸期遠路遥々ヨーロッパ人に出会った日本人の世界認識の変容とその情報伝播である。ところで、中華は文字通り、自身が世界の中心と看做していた。中心より外に行くに従い文明の威光が薄れ、周辺の外界には蛮族が跋扈するという世界観を打ち立てていた。これを文化とし輸入し、日本は自らを「辺境」と位置づけていたのだ。
そんな折、江戸期に異変が起こる。ヨーロッパ人の来航だ。
日本も中華の辺境だがやや近いからこうやって文明人やってるが、さらなる辺境の海のむこうの国からやってきた連中ってのは、中華的教養、その世界観からすれば、野蛮人であるはずだ。実際、連中は大柄で毛むくじゃらで目が青かったりする鼻のデカく、髪の毛赤かったり、栗毛だったり、黄金色だったりで、「文明人」である支那人とまったくかけ離れていた。
しかし、往時の日本人は、連中の衣服や習慣に目を見張った。同時に彼らの身体も解読し始めた。海の向こうから文化文物がやってくるという気分がそうさせた。
つまり、渡航したヨーロッパ人そのものを文化文物と看做した。辺境ゆえに、文明の香りに鼻が利いたのかもれない(辺境ニッポン万歳!!)。
ただ、その身体の解読は誤読の始まりでもあったわけだが。。。


大江戸異人往来 (ちくま学芸文庫)
大江戸異人往来 (ちくま学芸文庫)Timon Screech 高山 宏

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