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○野村芳太郎監督「拝啓天皇陛下様」感想
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原作は、「陸軍よもやま話」などの作者、棟田博の同名小説。映画版の「拝啓天皇陛下様」では、棟田自身は棟本という名で登場する。作中の棟本は、ヤマショーという男との出会いと腐れ縁を回想する役回り。棟本とヤマショーはなぜか気が合い、戦後も付き合いがつづいた。
棟本博(長門裕之)とヤマショーこと山田正吉(渥美清)の出会いは、昭和6年、岡山第十歩兵連隊入隊に始まる。入隊時のエピソードで、ヤマショーが自分の名前を書くのも難渋する無学な男であることが分かる。
昭和7年秋の大演習の際、昭和天皇が臨席する。ヤマショーは現人神はおっかないものだと思っていたが、意外にも気品溢れる優しい顔立ちで、これに感銘をうける。以後ヤマショーは天皇の大ファンになる。
制帽をなくした際の棟本の「徴発」のテクニック、西村晃演じる先輩兵への仕返し、藤山寛美の後輩から読み書きの手ほどき等の兵隊時代のエピソードは、無学ながら憎めない男というヤマショーの人柄にフォーカスされている。私の印象では、これらのエピソード描写は戦後のヤマショーの不器用な生き方を際立たさせる壮大な前振りだと思う。
戦後、従軍作家だった棟本は当然シゴトはない。茨城県牛久の汚い一間に住み、妻(左幸子)のヤミ食料の運搬シゴトでやっと生計を立てている始末。落ち目の棟本のところへルンペンの親玉のようなヤマショーが訪ね、再会をはたす。
狭く汚い一間からの棟本夫婦の出発は、敗戦から立ちう上がろうとする当時の日本人の姿だろう。カメラが何気なくとらえる、棟本や彼とおなじアパートに住む戦争未亡人(高千穂ひづる)の服装や調度品の様子から、彼らの暮らしむきが徐々によくなりつつあることがうががえる。一方のヤマショーは決まった職を持たず、土方シゴトに明け暮れている。
私はこの戦後のシーンに、シルベスター・スタローンの「ランボー」的な「戦後に適応できない男」というテーマを感じた。ランボーにとってのマシンガンは、ヤマショーの満面な笑顔だ。彼はどんどん時流に乗り遅れ、復興やそれに伴う幸福から見離されつつある(高千穂ひづるの未亡人から肘鉄はこの象徴)のに笑みをたやさない。彼の笑顔は、戦後上手く立ち回った日本人への当てつけとして機能する。むろん彼に怨嗟があるわけでないが、それゆえに笑顔を向けられた側は堪ったもんじゃない。元従軍作家で戦後児童作家に転身した棟本にとって、戦後のヤマショーのニコニコ顔は狂気じみて映ったのではないか。
おそらくヤマショーこそが車寅次郎の原型だろう。いや、寅さんの原液といったほうがいいかもしれない。ヤマショーは戦後に戦死した時代不適合な日本人の魂である。ある種の生きながらの英霊といってもいい。戦争喜劇でありながら、不思議なファンタジックな気配があるのは、この英霊っぽさのためだ。そういう意味で、渥美清の寅さんはヤマショーの狂気をバカに薄めて完成した。「続拝啓天皇陛下様」も観てみたい。
拝啓天皇陛下様 | |
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長門裕之、かわらねぇー。
ナイスな笑顔!中村メイ子が中村メイ子なのにカワイイ。若さって偉大だな。