オリエンタリズムとしての「大阪」


坪内祐三の「まぼろしの大阪」(ISBN:9784835609638)は、著者が憧れた大正期の燦然と輝いたモダン都市大阪、その痕跡をたどることを眼目としている。ちんまりした感じのすこぶるキュートな本だ。
ずいぶん前に読んだためうる覚えだが、この本で私が大変印象にのこっているのは都市ガス普及促進のための洋食に着目した(参照大阪ガスのくだり。
本社ガスビル内のガス調理器野デモンストレーションを兼ねたガスビル食堂は、やがてお好みやたこ焼きなど独特な粉もの文化の礎となったようだ。いまの我々からすれば、たこ焼きなんて庶民のジャンクフードだが、よくよく考えれば、ガスの火力がなければ成り立たない。言ってみれば実に都会的インフラが可能なさしめた食い物だった。
お好み、たこ焼きはモダン都市大阪のなごりだった。この視点は新鮮な驚きで、目からウロコだった。逆にいえば、今日関西庶民のジャンクフードとして流布するお好みやたこ焼きのイメージは、マスコミの集中する東京経由で増幅されたベタな大阪、関西イメージじゃないかと思う。
むろん、そうした他人様の期待するイメージを利用するのも商才のうちだろう。しかし、昨今の大阪の人々はかつてモダンの大輪を咲かせた街の履歴を忘れ、東京経由で増幅された「お好み」、「たこ焼き」こそ自身の姿と勘違いするようになってはいやしまいか?坪内は強くそう言ってるわけではないが、そういう風に私は読んだ。
で、亀田一家だ。あの一家がなんで私を苛立たせるのか自分でも判然としなかった。けど今なら分かる。結局連中が情報社会のなかで流布された「典型的な関西のヤンキー」をベタに演じているからだ。
なにゆえ、東京経由で増幅されたイメージを演じのか。そんなことは田舎者のやるヘツライにすぎない。いつから東京増幅のイメージに迎合するようになったのか。モダン都市大阪市民の矜持はファイトマネ−に目がくらんで吹き飛んでしまったか。
大毅ぼろ負け以降の低姿勢は、兄弟に「パンチ利いた顔してるけど、ホンマ気ぃのやさしい素直なええ子」という更にコテコテのイメージを上書きした。じゃりん子チエか!アホんだら。
ちなみに「じゃりん子チエ」の版元双葉社も東京にある。


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続編「大阪おもい」も気になるなあ。


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ちょっと脱線的だが、これも気になる。