佐藤優「獄中記」読み中
(岩波書店 ASIN:4000228706
佐藤優「獄中記」は、少量の日記と膨大な弁護団、友人、後輩への手紙で成り立っている。
佐藤は自身が愛国者であることを隠さないが、逮捕、身柄拘束という彼の身に降り掛かった事態は、まさにその国のなせるワザだった。
愛する対象からの、かかる仕打ちを彼は一体どのように考えているのか?また、そうした仕打ちを受けた今後の彼は自らの愛国心をどのように運転していくつもりなのか?私が本書を読もうと思った動機はその辺の見極めである。
ざっと読んだ感触で言うなら、佐藤は肘鉄を食らった今でもその愛国心を捨てるつもりはさらさらないようだ。
ところで、彼はクリスチャンだ。佐藤本人も自己分析しているように、カルヴェアン派的な傾向がある。どうやら愛国者佐藤優は、このカルヴァン派気質と切り離せないものようだ。
私見では、カルヴァン派にとって大切なのは神との交信である。カソリックにおいて、信者が神に電話する行為が祈りであるなら、教会は電話そのものだった。そして、教会は電話として神の声を信者に伝えることで、自らの権威を不動のものにしていった。
これに対して異を唱えたのがカルヴァンだった。彼は、「教会は電話じゃない。神との電話を取り次ぐだけの交換手だ!」とぶちあげた。そして、交換手のくせに神の威光をかさにきて威張るんじゃないと糾弾すると同時に、教会なしに神と電話する新しい解釈を打ち立てた。「仕事に邁進せよ、そうすれば天国に行けるよ」という天職観の提唱である。
国家の罠」、「獄中記」と読んできて、途方にくれると同時に感嘆するのは、佐藤の職務に対して誠実かつ猛烈であろうとする姿勢とそれは何人も侵せないとする強固な意志である。獄中での彼のべらぼうな読書熱も法廷戦術を構築するための行為である。また彼にとって、この訴訟の勝利とは自らの身の潔白云々ではなく、自身の職務上の行動の正当性を勝ち取ることをさすのである。
十中八九、佐藤のそうした職人気質はカルヴァン派の天職観に由来するものだと思う。たぶん、佐藤のこうした気質は、外交官以外の道を歩んでいても不変なものだと思う。けれど、たとえばラーメン屋のオヤジになっていた場合、愛国者のラーメン屋にはなってなかったと思う。
要するに佐藤にとって愛国心とは、外交官という職務を全うするうえで必要なアイテム、心構えの意味だと私は理解した。


獄中記
獄中記佐藤 優

岩波書店 2006-12
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