三崎亜記「となり町戦争」読了。
(集英社文庫 ASIN:408746105)

作中の「僕」は、舞坂町に住む、ごく平凡な若いサラリーマン。ある日、彼のもとに町役場から一通の任命書が届いた。彼にはとなり町との戦争の実感がなく、それゆえに確固たる役場要請の戦争支援活動を断る理由がない。任命受諾は同時に彼の役場の戦争係の職員香西さんへの恋の始まりでもある。
役場「となり町戦争」係の職員香西さんは、絶対一人称で語らない人として描かれている。彼女は、常に役場の一員としての立場でものを言う。「僕」はそうした彼女にはぐらかされながら、彼女のシゴトに対する実直な姿勢を好ましく思ったりする。むろん、それは組織の歯車に恋をするようなもので、まったくの倒錯と言える。その意味で「僕」の香西さんに対する恋愛感情は、となり町との戦争を推進する町役場への微妙な忠誠につながっている。
「香西萌え」という造語を提案したい。「香西萌え」は、常に自分の所属組織の意見を代弁し、また行動する女性に萌えることを指す。
「香西萌え」の正体は、滅私奉公のエクシタシーだと思う。思考停止でも頑張れば、コトが前へ進むラクチンさへの愛着である。
そして、こうした愛着はフィクションでなく、現実社会で確認されるものだ。
朝日新聞の社説や割付ににじむ中国よりなスタンス、経済界の手前、失言する機械ヤナギサワをクビにできない総理、自衛隊の利益を優先し、アメリカの対イラク戦争を非難する防衛する機械キューマ、いじめられたくないために、いじめに加担する子供等など。
香西さんは、そうしたエクシタシーの一切合財の権化なんだと思った。
今春、江口洋介原田知世主演で、映画「となり町戦争」が封切られる。江口はミスキャストでないか?
読書中私は、加瀬亮をイメージした。