梅田望夫・平野敬一郎「ウェブ人間論
(新潮新書 ISBN:4106101939)


蛇口をひねれば水が出る、なんてことはまことに有難いことで、もっと昔の人のご苦労に感謝しなけばばらない。むろん水に限らない。ガスも電気もガソリンも水に同じ。
ああ昔の政治家よ、昔の職工よ、昔の庶民たちよ。あなた方は実に偉大だった。
映画「ALWAYS 三丁目の夕日」で、電気冷蔵庫が家に来た!というエピソードがある。今まで使っていた氷で冷やすクラーボックス式の冷蔵庫がうち捨てられているのを、氷屋の男(ピエール瀧)が、静かに見つめているシーンが印象的だった。
ウェブ進化論」の著者が絶賛する新たなウェブの局面というのは、どうやら新たな時代の電気冷蔵庫みたいなもののようだ。では、そのとき一体何が捨てされれるのだろうか。

作家である平野のネット隆盛に対する切迫感は、近い将来本はダウンロードされるデータになっていくのではないか?というもの。心情本屋な私も平野の危惧にある程度共感する。
けれど梅田はそれは杞憂にすぎないとする。小説を書くという行為は情報の構造化を意味し、これはブラウザで眺めるより断然紙ベースが使い勝手がいいのだから、紙の束、本を残るという理屈。
また梅田は、グーグルに代表される新たなウェブの精神は、小さなビジネスの市場をどんどん掘り起こすだろうと予感している。だからある書き手が、ネットに参加する目茶目茶大勢のうちの一塊の評判を永続的に獲得できるなら、その書き手は作家ではないかという論理が梅田の言葉の背後にあると思う。
これまでの紙ベースの社会が小説著作があるから小説家であったのに対し、来るべきウェブ社会では、読者が認めているから、もうその時点で小説家なのだという寸法だ。
いま我々が常識とは、電気冷蔵庫が各家庭に普及する前の昭和30年代当時の人々のそれとと違う。同様に、これから10年後の未来の常識もやっぱ我々のそれと食い違っていてもおかしくないだろう。理屈ではわかるのだれど。。。別の言い方をすれば、テクノロジーの発達が人の生活スタイルを変え、それに応じて人の心性も変容していったということか。心性が大げさなら、共通認識か。
戦後の高度経済成長期をさかいに起こった左翼的なイデオロギー求心力の急速低下は、ソ連の化けの皮がはがれ流布するのとは別に、経済的な豊かさが左翼的な労働者の解放みたない問題事項をどんどん解決してしまい、それを大多数の日本人が、こういう道もあるんだなとわかってしまった点にあると思う。衣食は足りた。しかしいまだ礼節はきていない。これからなのか。ハッカー倫理とやらがそれか。ホンマかいな。

グーグルに代表される精神とは、「能天気なまでにテクノロジーでどしどしいくよ主義」と理解した。私は現状エスタブリッシュな境遇にいるわけでもなし、実際既得権益などからよっぽ遠い存在だと自負している。が、なんだかやっぱ恐いなぁ。堺屋太一はこの本を読んだかな。触発されて未来小説書いたりして。読みたいか?ま、一応売れるよ。あだ花で。
ところで、梅田は、このはてなの取締役なんだけど、前著「ウェブ進化論」がヒットを飛ばしたことで、ブログの更新に対する構えがかわったことを、はてなの連中から「ダークサイドに堕ちてますよ」と強く警告されたという。はてなにしても、グーグルにしても若者のわりに「スター・ウォーズ」ファンらしい。あんまり思い入れない映画なんだけど、マズいのかなぁ。
ネットに対する奉仕の精神というか、そういう価値観と既存の常識の壁を打ち破って進む精神。いったい未来はどうなっているのかしら。



ウェブ人間論
ウェブ人間論梅田 望夫 平野 啓一郎

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