池上永一「レキオス」読了


沖縄FMに「ポップンロールステーション」という夕方の番組があった。
そのパーソナリティはケン&マスミのコンビ。うちなーぐちと標準日本語と英語を混ぜこぜにしたおしゃべりがウケて人気番組になっていたと思う。が、私はさほど好んで聞いてなかった。英語や標準的日本語に方言を混ぜて喋るというスタイルの滅茶苦茶さがウケてるだけで、漫才的会話の妙やオカシミが薄かったように思う。ま、彼らはラジオのパーソナリティであって、漫才を追及していたわけではないから、私の期待自体がまちがっていたのかもしれない。
QJ」のラジオ特集号で、池上は「ポップンロールステーション」を思い出のラジオ番組として挙げており、ケンとマスミ流の方言・標準語・英語チャンプルートークが、「レキオス」の着想の中心にあったのは間違いない。たぶん、池上はケンとマスミに代表されるチャンプルートークに「今の沖縄」に直感したのだと思う。
ユタのおばーが重要な登場人となっている。ユタは民間信仰の占い師・祈祷師で、「ハンタガワのツルコ姉ぇは(占い)があたるってよぉー」風に口コミされる兼業ユタは相当数いるはずで、彼女ら分かりやすい霊媒風なコスチュームまとわず、ワンピース姿やジーパンを穿いてたりする。つまり、現代のユタはおしゃれのセンス的には普通の女性同様、カジュアルな服装を好んでいるようだ。
多少強引につなげれば、今どきのユタのありようは、ライフスタイルの欧米化と並存する形で精神世界が息づいているということになるのだろう。池上は、そうしたユタのハイブリッドな一面をコザやハンビータウンのような基地周辺の街のイメージとダブらせている。その意味で、デニスは小百合ねーねーと対象の関係にあり、デニスはコザ・ハンビータウンの化身で、小百合ねーねーは那覇首里のそれであるようだ。
私は珍妙な流行りだと思っていたチャンプルートークは、実はケンやマスミのような在沖の混血児たちのアイデンティティの拠り所ではないかという池上の直感が、欧米化にライフスタイルを「上等!」とすんなり受け入れながら、土俗スピリチュアルな支柱であることへの自覚意識が並存する今日的ユタにオーバーラップ(?)したとき、ノンストップ土俗SFファンタジー「レキオス」は産声を上げた。



レキオス
レキオス池上 永一

角川書店 2006-01-25
売り上げランキング :

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

関連商品
シャングリ・ラ
風車祭(カジマヤー)
バガージマヌパナス―わが島のはなし
あたしのマブイ見ませんでしたか
ぼくのキャノン