国松孝次「スイス探訪 したたかなスイス人のしなやかな生き方 」読了


筆者は元警察庁長官の国松氏。95年3月に起きた警察庁長官狙撃事件で重傷を負った、アノ国松さんだ。
退官後、スイス大使のハナシをうけ、99年から3年間スイスに駐在したようだ。
スイスはハイジの国でもあり、またウィリアム・テルの国でもあるという。けれども、日本でのスイスについてのイメージはハイジに偏っているのではないかというところから導入される。
テル伝説に象徴される建国の精神は脈々してあり、ハイジが暮らしただろうその牧歌的自然環境もそうしたスイス魂の発露である、とするのが筆者のスイス観のようだ。http://www.swissworld.org/jpn/swissworld.html?siteSect=804&sid=5142886&rubricId=16040

ところで、欧州がヨーロッパ共同体というひとつのデカい国になりつつあるが、スイスはそれと一定の距離を保ち、独特なスタンスを発揮している。その永世中立の精神は結局、「おらの村のことはおら達が決めるんだ!」という村的自治権意識に尽きるようだ。
要するにスイス連邦とは、自治意識のめっぽう高い村落共同体の束と考えられる。筆者は、こうしたスイス観をよりどころにスイス人!ジャン・ジャック・ルソーや傭兵制度、ナポレオンの兼ね合い、国連加盟等など、スイスが歩んだ歴史道を考察していく。
とはいっても、筆者が紹介するスイスは、テル的なものばかりでもない。そういうイデア的スイスばかり固着しないのは国松のデカ的な嗅覚のなせる業だろうか。そう、彼は実際によくスイス各地を歩き、また当地の人々を語らう(聞き込み?)ことを忘れていない。ま、だから本のタイトルが「スイス探訪」なんだろうが。
私がもっとも興味を引いたのは、そのスイス各地の祭りや風習。
「がちょうの首切り祭り」は、シュルゼーというスイス中部の小さな町の奇祭。町の広場に死んだ「がちょう」をつるし、その首を太陽をかたどったお面とマントをつけサーベルで切り落とそうと試みる祭り。
お面は目隠しに近いようで、スイカ割りのスイス版といった風情か。筆者はこの地にかつてあったケルトの名残りかと推理している。ま異論というほどでもないが一見キリスト教ぽっくないからいって、なんでもケルトの痕跡ととるのは司馬遼が過ぎるのではないか。余談であるが。
スイスのサンタクロース(サミクラウスと呼ばれているそう)は、12月6日にやってくる。子供にプレゼントを持ってくることは他と変わらないが、陰気な助手を従えて、プレゼントを渡す前に子供に勉学やお行儀的な日頃の行状について説教を垂れるため、子供からウザがられている筆者は報告している。
さらに、スイス南西部、山間の秘境レッチェルタールには、2月初旬の祭りで男鹿半島なまはげそっくりなチエゲタという怪物が活躍するそうだ。
ググってみたのが、コレ。
http://4travel.jp/traveler/fururina/pict/10252724/

最近日本では、阿波踊りやソーラン節がそのご当地以外でひっぱりダコだったりする。それはかつてあった共同体が崩壊したか、あるいは、観光のためには土地の氏神さまも捨てかねない本末転倒が各地で起こっている証左だろう。かたやスイス各地の祭りの意味不明な面白さは「やっぱり村が好き!」の、それぞれ自治体氏子(?)の心意気が今も変わらずあるのだろう。「地方の時代」が叫ばれて久しいが、中央に対しての呼称「地方」をスローガンに盛り込んでいる自体、やっぱ変じゃないか。
新幹線・空港の誘致合戦や道路や橋の建設といった、角栄後も角栄的な地元への汗かき仕事が横行したのも、おらが村を「地方」としてしか捉え切れなかった明治国家式フレームワークの落とし穴ではなかったか。なぁ、司馬遼っ!
あるいはこう言ってもイイ。巨悪の根源は角栄ではなく、橋のない、道路のない、空港のない前近代的な祭りのあるおらが村の地方っぽさがダサくて大嫌いだー!という氏子の氏神様へ畏敬の枯渇がその元凶であった!と。なぁ、立花っ!
それにしてもスイス。ああいいなぁ。もういっぺんで大好きになった。私にとってスイスはテルでもハイジでもロッテンマーヤさんでもなく、とん祭りの国としてインプットされた。
みうら兄ィの勝手に観光協会、日本制覇したら絶対スイスにいくべきだ。是非に!




スイス探訪―したたかなスイス人のしなやかな生き方
スイス探訪―したたかなスイス人のしなやかな生き方國松 孝次

角川書店 2006-03
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