奥泉光「鳥類学者のファンタジア」読了
集英社文庫 ISBN:408747688X



「鳥類学者のファンタジア」は女ジャズピアニスト、フォーギーのファンタジックな冒険譚。
フォギーの容姿を想像するなら、宇野亜喜良松本零士の美人キャラ混ぜて味戸ケイコで割った、三十半ば女といった印象をうける。 ま、目の目の間が多少開いた美人風ということ。しかし、フォギー自身の一人称で語られる長めの序章は、おっちょっこちょいの饒舌スタイルであり、彼女のパーソナリティは、飯野和好のずんぐりむっくりな少女のそれを彷彿させる。
つまり、フォギーとは容姿がメーテルないい女風の中身は「女おいどん」というあたりに落ち着く。
たぶん、奥泉の試みは物語を語る「語り手の居場所問題」だと思う。
前述したように序章はフォギーの一人称で語られるが、二章以降三人称で語られるながらおっちょこっちょい饒舌スタイル踏襲される。そのためフォギーが語られる対象、冒険譚の主人公としてのフォギーと語り手の二人に分裂したような感じになる。
いま「分裂」と書いたが、いまひとつ正しくない。おっちょちょい饒舌スタイルの彼女の内面が、語られる対象としての彼女からぐんぐんと乖離し、俯瞰の位置を獲得したといった具合といえばスワリがいいかもしれない。
彼女のファンタジックな冒険先は二次対戦中のドイツなわけだが、つまりこのドイツという旅先は実際の過去の二次大戦中ドイツでなくて、フォギーをして語り手とその対象に乖離を強いる、アナザーワールドな場所だと思う。
だから、フォギーは時代をさかのぼる形で二次対戦中ドイツにあるのではなく、階段を踏み外したとかドブに落っこちたという具合に世界に生じたズレがもとでドイツにあるのだと思う。今思いついたが、冒険の主体としての彼女と語り手の彼女は、ピアニストの右手と左手の隠喩でもありそうだ。
そういう意味において、「鳥類学者〜」はファンタジー冒険小説であるわけだが、同時に小説における語り手がいかにしてアイデンティティを獲得するのか、語り手とは一体誰なのかという小説作法上の実験的試みのように思った。奥泉の試みは完璧でないにしても上々な出来だと思う。
私にとって「鳥類学者のファンタジア」の主役はファンキーな饒舌節の語り手としてのフォギーだった。読んで正解。



鳥類学者のファンタジア
鳥類学者のファンタジア奥泉 光

集英社 2004-04
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