○簡単に「野生の思考」とは言わない。


私は子供の頃父親の転勤で宮古島に暮らした。通園の便を考えて、親は平良第一幼稚園から歩いて5分ほどに家を借りた。
家主は爺さん、婆さん。爺さんは畑仕事をしていたと思う。牛や馬を母屋の脇の馬小屋で飼っていた。爺さんに馬に乗せてもらったことがあるが、高いところが怖いタチなので、母親が馬にまたがる私を撮り終えたら速攻下ろしてもらった。というか、今日のはなしはそんなことではない。婆さんのハナシだ。
婆さんは年がら年中糸車をまわしていた。糸車が面白いので傍でみていたが、ずっと同じ動作なので飽きた。すると別のものが目に留まった。婆さんの手の甲が。
沖縄・南西諸島の文化に詳しい人なら、私が婆さんの手の甲に何を見たかはわかるだろう。そう、ハジチをみたのだ。
ハジチは針突と書く。端的にいえばイレズミ。おはぐろがそうだったように結婚した女がその手に施した。明治以降政府によって禁止されたためハジチの風習は今はなくなった。
http://www.culture-archive.city.naha.okinawa.jp/html/b_contents/10041000.html
http://www.gushikawa.com/oki-cul/tisi/nao-image/nao-01.htm
http://www.sutv.zaq.ne.jp/ckaqz607/hajichi.htm
http://www.airbepal.com/bn/10509172290100/1129532618.html

ハジチを初めて見る私は、「おばーの手には模様があるね」と言ったらしい。だいたい施したのがたぶん60年前といった感じの年季の入った婆さんの手なので、ハジチ自体は鮮明さを失いすっかり手になじんでいた。それが模様のある手に見えたのだろう。
以来私は母親と市場に出かける際、婆さんを風情を見かけると手の甲を観察するようになった。が、さほど多くのハジチをみることはなかった。ただ、ハジチデザインにはいくつかの種類があったと覚えている。盆暮れで那覇に帰省する際、母方の婆さんの手を観察したが、ハジチはなくちょっとがっかりしたりもした。彼女は大正生まれだったのだ。
今、アノ風習が残っていれば、とは思わない。けれどハジチが土産モノの意匠として復活するくらいの今日、ハジチを生んだ沖縄の島々の知恵や世界観のようなものをハジチとともに流してしまったんじゃないかとふと考える。

ヒエロニムス・ボッスはへんてこな絵を描く作家である。彼は確かにニヒリスティックにみえる。筆は達者だが全体異様な気配が漂っている。
でも、ただそう見えるのは近代以降に世界的に広がったモノの眺めた方によるものじゃないかと思う。ボッスは奇天烈な絵を描いてるつもりはさらさらなく、ごく普通に自らの住まう土地に伝わるお話を絵画のなかにすべりこませただけかもしれない。かりにそうだと過程すれば、彼は奇妙な画風の作家ではなく、当時、土地でメジャーだった伝承の引用者だったかもしれない。
ボッスの絵画を眺め、宮古島のおばーのハジチを思い出した。




◇幻想美術館 ヒエロニムス・ボス
http://www.fantasy.fromc.com/art/bosch.shtml
表記が「ボッス」でなくて、「ボス」になっている。


◇ボッスキャラのフィギュア
http://www.3d-mouseion.com/engels/bosch_eng.htm
ダウンタウンの松ちゃんに見せたいね。


◇ボッス的宇宙
http://www.boschuniverse.org//index.cfm?

便利なようで使い勝手が。。。