○増井経夫「大清帝国」( IISBN:4061595261)読み中 その2


昭和二十年ごろ、佐野学という人は「清朝社会史」を書き、太平天国を革命とぶち上げたようだ(ただし獄中で)。しかし当時は太平天国と呼ばず、長髪賊と呼称するのが史学界の常だったらしい。増井はそれを怠惰な態度と批判したうえで、太平天国に興味もった研究者たちのそのアプローチのいくつかとその帰結をかいつまんで紹介している。
262〜263ページより引用。

太平天国の爆発的な拡大とその特性を前提として認めると、福建・広東・広西に連続していた先行の民乱や、その時代的背景へ、まず目を向けられたのは当然だが、そこはとくに目新しい発見がなかった。が、太平軍に女子軍が編成され、纏足をせず、天足(自然なままの足)で労働したことは、客家の習性であって女子の解放とはならない。
(中略)
そこで、中国で唯一のキリスト教主義というその思想内容と、行動への影響を強い因子として取り上げる人もある。彼らが発行した二十九種の出版物を逐次調調査し、そのよって来る原典との距離や、翻訳過程における中国化や、首脳部の個人差などを追求していくと、これもキリスト教ならばこそという幻影は消え去っていくようである。
(中略)
官僚を憎悪しても官僚制を捨てることはできず、権威に対抗しても、新しい権威を作る以外に統治の道はなかった。したがって、制度や組織ををいくら分析しても、なかなか決め手になる材料の発見はないといってよい。

「大清帝国」は文章も平易であり清朝という時代のアウトラインをつかむのに大変便利な本だと思う。ただ時折、増井の叙述は本邦の史学における研究態度と研究アプローチについて批判的に語られる傾向があり、いささか面食らう。
上に引いた部分はその一例で、微妙に物騒な気配が漂っている。
温厚そうな課長と社員食堂で昼飯がてら取引先の話をしている折、その課長の口からおもむろに会社の上層部や上司の悪口が噴射したような、喩えるならそんな感じ。
つまり、上の引用箇所は、太平天国を単にゾク扱いする連中はアホだが、制度、組織の分析にアクセクしているような連中もセンスないなぁといっている風に私には聞こえるということ。一見柔和で実は毒舌家というのが増井の正体ではないか。
正体わかった。じゃ、そんなにゆーんだったら増井サン!アンタはどう見てんのよ!!と聞きたくなるのが人情というものだろう。彼はこういっている(264ページより引用)。

しかしいつのまにか忍びこんでいるもの。たとえば文体や称号などのなかに、庶民的な用語や表現が散見されはじめている。これは太平天国に限らず、清代中期から読書人以外にも、書物が必要となり尺トク(書状)や商業文が一般化するにしたがっておこってきた傾向で、これが太平天国文書にもみられることは、この王朝の母体が、一段低い位置におりてきたか、または広い層に分散した証拠として興味をひく点である。

<いつのまにか忍びこんでいるもの>は文脈的には書状などの用語、表現を指す。ただ、増井が意図は、その社会のうちにいつのまにか忍びこんでいるというもの意味だけでなく、その社会を対象として研究する者の頭のなかにもいつのまにか忍びこんで、注意をひかない瑣末なものののことを指すのだろう。
ヤバイおっさんだなぁー。



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