○余話の冒険、あるいは自分語り嫌い作家の発話訓練


司馬遼作品において、「余話であるが」という風に始まる一連の記述は、その作品であつかっている時代の背景、関連エピソード、後日談などを作者司馬遼が解説したものである。機能としては、作品の本筋を読む上で読者の理解を助けるための補助線の役割を担っている。
司馬遼は近代日本の小説という文学形式に疑問を持っていた人だと思う。
端的にいえば、私小説に不満があったと推測する。なぜ読者は作者の分身たる主人公に付き合い、その胸を内のどーでもイイ告白に耳を傾けなければならんのか、司馬遼は意味が分からなかったのではないか。
合理の人である彼にとって、小説にも合理的な滋養を期待したとするのは行き過ぎだろうか。
司馬遼初期のエッセーを読むにつけ、おそらく司馬遼は自分自身は語るに足らない粗末な人間だと強烈に自認していた人だと分かる。自分にキビシイという積極的な側面よりも徹底的な自分嫌いという自意識が破裂寸前の精神状態を私は司馬遼にみる。
作家司馬遼太郎について云々するとき、この「俺はつまらん男」という自己規定は、司馬遼を近代日本の小説作法からはるかに遠い、彼の言葉でいうなら「バスク人」にしたと思う。
近代説話」とは、新進時代作家司馬遼が属した同人誌のタイトルである。と同時にそれは私小説を離れ、人生を綴るために司馬遼が悪戦苦闘のすえ生み出した小説スタイルを指すと解す。
新聞記者であった彼は、文体はそれをあてた。題材を過去にとったのは、私小説の重力から逃げるため、というのが本音で司馬遷リスペクトというのは後づけと判断する。
だから、なぜイチイチ「余話であるが」、「以下、無用のことながら」とエクスキューズをいれるのかという問いは、司馬遼文学の根本に関わる問いである。
前述したとおり、余話は司馬遼の引いた補助線である。読者の理解援助のために引きた。が、猛烈な自分嫌いで「私小説」の自分語りを呪うように嫌った司馬遼は、自ら引いた補助線に自分の声を聴いてしまった。
といって、余話部分を省くと全体が貧弱な歴史小説になってしまう。苦渋の試行錯誤の末、「余話であるが」とことわりをいれた。
司馬遼文学の余話は、自身の史実解釈を指す。司馬遼の意に反し、その手つきにもましてスタイルを一層独特にした。なんとも奇妙な老人だ。

余話として
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以下、無用のことながら
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