○歴史を妄想コスプレで読む

http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20050317#1111056969

宣長と秋成の論争など、近代人の目で見れば、宣長はただのキチガイである。いや、彼がキチガイなどでないことは秋成がよく知っているからこそ、いきり立つのだが、宣長は相手にもしない。ただ、罵倒しつくす。宣長の心中には、率直に言って私にはわからないものも多いのだが、これだけはわかる、宣長は秋成に、日本人の心から物を言え、と、言っているのだ。それが、あの局面では極めて非合理になる。

論文集「神話・寓意・徴候」(せりか書房 /竹山博英訳 ISBN:4796701567)において、カルロ・ギンズブルグは絵画の偽物/本物の見極めには、その作家の特徴部分より、とるに足らないと思われている些細な部分の手癖が鍵である旨を報告し、ホームズの探偵術との類似性について論を展開していく。
この「些末なもの」こそ重要な証拠というアイディアはそのまま彼、ギンズブルグの歴史学者としての文献資料に対するアプローチ、姿勢を表していると思う。
文献資料というものは、大抵為政者や当時の権力者側にとっての重要事項、事件の記録である側面がおおいにある。だから当時の事件、出来事について事実を確かめる際、文献資料の突き合わせのみでなく、文献資料が語らずべく語っている些末な「声」を聴く忍耐とイマジネーションがとても大切ということか。
ま、その実践はなかなかイバラの道というオモムキがある。なんせ、そんなこと百も承知という私自身、安易に今の気分で江戸時代や室町を眺めていたりする。
とにかく、今の価値観フレームを一端忘れ、その時代の人々に「なりきる」妄想的コスプレの精神が不可欠なのだ(ホントか?)。
だから上記に引用したfinalvent氏の意見に俺もおおむね同意する。が、だからと言って子安宣邦の「本居宣長」(岩波現代文庫 ISBN:4006000588)をあしざまに言うつもりは毛頭ない。けど子安氏やっぱ近代ひきずっとるよなぁと小声で言いたい。
今、店頭にならんでいる「現代思想」の特集が「松本清張の思想 」。キーパーソンはやっぱり成田龍一だと思う。
成田はさいきん、大衆小説にひそむ歴史感覚、歴史観のあぶりだしをテーマにしている。カルスタ風で危なっかしいが、彼持ち前の鈍くささがやはり和光とは一線を画す、と思う。
北田暁大の「嗤う日本の「ナショナリズム」」(NHK出版 ISBN:4140910240)を読んでいても痛感したが、私は知っいるはずの昭和史すら実は分かっちゃいないと思った。出来事的には記録されているが、当時日本人が何を共有していたかということが抜け落ちているという意味で何も知らないということ。
つまり、昭和すら忘却し、こっち側(今現在)から安直に眺め物言いをしてしまいががちなのだ。
今回の「現代思想」。特集「松本清張の思想」が松本清張というテクストを通して、彼が暗黙の了解として語ることをはしょった部分、「歴史認識」に触れてあるとすれば、読まないといけないなと思った。


神話・寓意・徴候
カルロ・ギンズブルグ 竹山 博英

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本居宣長
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