○いったい諸葛亮はなにが目的で何度も北征の軍をだしたのか?


高島俊男「三国志 きらめく群像」(ISBN:4480036032)、410ページより引用。

この蜀の立場は、ここ四十数年の台湾をみればわかる。日本人は無礼にも台湾台湾とまるでそれが国名であるかのように呼んでいるが、実は台湾というのは単なる地名であって国名は中華民国というのである。中華民国政府は(すくなくとも十年ほど前までは)、我々こそが中国の唯一の合法政権であり、大陸本土は非合法の偽政権である共産党に暴力的に占拠されているので、今は臨時に腰掛け的に台湾にいるけれども、そのうちかならず大陸に反攻してこれを光復し、あちらにもどるのだと呼号し宣伝しっして、共産党がせめてくるとすれば福建からに決まっているから、福建のすぐ手前の金門・馬祖両島を抑え、ここから時々大陸にむかってポンポンと大砲を撃って、やる気のあるところをみせたいのである。

三国志が相当苦手、だった。
「誰好き?俺、孫健!」風な三国志ファンの登場キャラに対する無根拠な思い入れと天真爛漫さにヤバさを感じ、かの三国とは距離をおくことにしてきた。
これまでの俺はさしずめ西境の北宮伯玉のような立ち位地か。ま、なんでも三国志キャラでに置き換えて語るとこが連中の欠点なわけだが。
上記の引用でも分かると思うが、「三国志きらめく群像」は、横山光輝マンガの知識よりも、現代人としての各国事情的素養さえあれば面白く読めるし、そうした背景がみえてくれば、三国志キャラも俄然輝き出す。というか断然、諸葛亮がカッコイイ。

412ページより引用。

建興十二年(二三四)春、諸葛亮は最後の北伐に出た。「諸葛亮」伝にはこうある。
 <十二年春、亮は全軍をあげ斜谷より出、流馬をもって運び、武功の五丈原に拠り、司馬宣王と渭南に対した。亮は、これまでいつも食料がつづかず自分の志をとげられないのを遺憾に思っていたので、兵を分けて屯田し、久駐の基とした。耕者は渭浜の居民の間にまじわり、百姓は安堵し、軍に私無かった。>
これまた異なことである。渭水の両辺は魏の領地である。そこで兵を分けて農業を始めたという。(省略)魏の屯田と蜀の屯田とが川をへだててむかいあったとすれば、これはまことに平和でのどかな風景である。

諸葛亮は本来、台湾的な立場で威嚇的に攻撃しなければならない。ただ食料枯渇に泣いた反省から、畑を耕すのという作戦に出たわけだ。年齢からして、自身最後の北伐となると諸葛亮は分かっていたはず。だから、畑耕し作戦は今後の蜀の北伐の礎を築く意味であると思う。
畑風景は一見平和でのどかでありながら、猛烈な諸葛亮の闘志の発露ということか。
いま俺は、猛烈に諸葛亮の帽子が欲しい。


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これも気になるな。