○談志はえらい?

談志の落語を一度だけ生で聴いたことがある。ハナシがなんだったか思い出せない。ただ、随分滞りながら、はなす人だと思ったのを憶えている。
往々にして座布団の上に座ってもなかなか落語をやろうとしない。枕すらも中断し、出し抜けに床屋政談風なことをぼやいたりする。
アレがスタイルだと思っていた。あるいは演目を語ることを出来ればやり過ごしたいようにすらみえるその態度は風変わりな「照れ」と解釈してきたが、内田樹「先生はえらい」ISBN:4480687025)を読んで、考えを改めた。
落語を聴くとはどういうことか。「らくだ」や「へっつい幽霊」、「千両みかん」などの演目を聴くか。「らくだ」を演る噺家の話芸を聴くということか。
後者だとおもっていた。落語とは、古典の噺をそれぞれの演者の「解釈」とみていた。
談志の立ち上がりのぐずぐずは、聴き手の期待に対しての無意識の「いやいや」なのだ。即興。一回性とは、場を共有する、演じ手と客のコミュニケーションから生まれる熱発なのかもしれない。
何が降りてるのか分からないが、明らかに談志には何かが降りている(落語の神様?志ん生?長屋のご隠居?)。
所詮俺は人形にすぎないと断念が、談志を噺家として繋げ留めている。