舞城王太郎煙か土か食い物
講談社文庫 ISBN:406274936X

帰省して当惑しつつやり過ごしていることは、那覇の街と板橋区成増の区別がだんだんなくなっていることだ。目に映る沖縄風なものは、土俗的な基盤があってのことではなく、シーサーや首里城沖縄そばや青い海と白い砂浜等という取っつきのイイ沖縄イメージが脈絡もなく戯れている風に見える。
若年層の観光客はコンビニやトヨタのレンタカーなど、インフラと化したサービスを普段使っているように沖縄でも利用し、昼飯にソーキそばを食べ、牧志の公設市場をひやかして帰るという案配にみえる。旅行というよりちょっとした散歩という風情だ。「カネをかけずエンジョイする」ことはなにも悪いことではない。仮に私が伊香保草津に出かける場合でも、同じようにコンビニやレンタカーの世話になるのだろう。
だから当面の私の関心は、沖縄観光産業のと沖縄という場所の行く末ではない。でたらめな散文風の郊外からアウラを拾い上げることだ。


《陸這記》 crawlin’on the ground 2004-12-15 Wednesday、「ミドルオブノーウェアという「場所」〜『煙か土か食い物』再読」より引用。
http://d.hatena.ne.jp/solar/20041215#p1

四郎がフライト中に聴こうと思って空港で買う「ハンソン」という子供ロックバンドのCDのタイトルが「ミドルオブノーウェア」、つまり「どこでもない場所」だということにあらためて気づいて驚いた(すっかり忘れていたのだ)

煙か土か食い物」は奈津川四郎の「ミドル・オブ・ノウウェア」をさまよう旅の物語だ。母親の危篤の伝を受けアメリカサンディエゴから故郷福井県西暁へ四郎は向かう。しかし西暁も決定的な何かが欠けているのだ。「ミドル・オブ・ノウウェア」なわけだ。端的にいえばアウラがない土地。
ベンヤミン風にいえば、郊外とは複製された場所なのだ。コンビニやイオングループによるデカい駐車場完備のスーパーの進出、マクドナルドやミスドと家電量販店とファミレス、シネコンの複合商業エリアのロードサイドへの展開、地元の本屋のツタヤに看板をかけ替え現象、古本屋といえばブックオフを指す生活等々が、日本の地方都市に急速に広まろうとしている。
四郎は眠れない。四郎にとって睡眠即死と理解されている。
母親の昏睡状態とは、目覚めない睡眠(=死)であり、宙吊りされた生である。四郎が天性の才能で名探偵ぶりを発揮するのは、愛すべき母親を昏睡状態に至らしめてた連続主婦殴打事件の犯人への<復讐のため>だけではない、眠ることへの恐怖を振る払い安眠出来る場所を見つけるための闘争なのだ。母の昏睡状態は犯人からの挑戦状に他ならない。
どこでもない場所とは手がかりが何処にもないのだ。正直しんどい作業だ。だから名探偵ならざるをえない。
犯人は誰か?確かにそれも解決しなければならない問題だ。ただ、眠れない(眠ることが怖い、死ぬことが怖い)ことにくらべれば、全然たいしたことではない。従って犯人は誰?は、自動的に四郎に「俺は誰?」を自答させる。だから連続主婦殴打事件は、犯人からの四郎へ根元的な挑戦状なのだ。
しかし、名探偵奈津川四郎は凡庸な探偵になりさがる。そして不本意にも依頼人になってしまう。どこでもない場所での悪戦苦闘の旅。けれどコピペだらけの郊外でアウラを奪回するには、名探偵なんて体裁などに頓着してられない、ということだ。つくづくカッコイイ。
舞城王太郎、スゴイわ。

煙か土か食い物
舞城 王太郎

講談社
2004-12
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