○カルスタをおちょくってばっかいる自分を反省(ちょっとだけ)

浅羽通明著「ナショナリズム ?名著でたどる日本思想入門」(ちくま新書 ISBN:4480061738)読み中。

ナショナリズムについての考察という体裁の新書。「こうだ!」という明快な答えを提示するのではない。石光真清「城下の人」を含む四部作、志賀重昂「日本風景論」、小熊英二「<民主>と<愛国>」、司馬遼太郎坂の上の雲」などの十冊のテキストを手がかりに、ナショナリズムについて考える補助線を浅羽なりに引いてみたという案配か。
考えるヒント、そのヒントを出し方が浅羽流で流麗ではないが、肚に響くように綴られている点が彼の真骨頂がある。簡単にいうと、歌謡曲やアニメの主題歌をとっかかりにしたり、本宮ひろしや小林よしのり、かわぐいちかいじのマンガを分析してみたりする。あるいは司馬遼太郎を戦後最大の大衆思想家と捉えてみせる。
山口百恵の「いい日旅立ち」が、国鉄の「ディスカバー・ジャパン」のキャンペーンソングであったことを指摘、それは志賀の「日本風景論」を大衆が国内観光によって体得したとする。また、本宮ひろしの「男一匹ガキ大将」の主人公、万吉に司馬が暗殺ゆえに書かかずに済んだ、龍馬の悲壮な将来を視るという具合に。
浅羽は、ナショナリズムをゴタクやリクツじゃなくて、生理や習慣に近いものと考える。だからその形成が必ずしも誰かにとうとうと説かれるといった形でなされるわけではないという見解を示し、ナショナリズムの大衆化は歌謡曲や小説やマンガのような大衆文化によってなされたという見地に立っいる。
ゆえに、章ごとに付記する「読書ノート」なるオススメ本の紹介に当然のようにカルスタが香ってくる。
私の偏見だが、カルスタにはちょっと高等遊民的坊々の新しい「見立て遊び」のような印象がある。勉強したいのか遊びたいのか判らない中学生気分が温泉の源泉のように噴射するイメージをカルスタは彷彿させる。
いま、「彷彿させる」と書いたが「彷彿させた」と書くべきなのだろう。上記の読書ノート部分を眺めていると、日本のカルスタ研究もそれなりの成果をあげているんだな、と考えを改めた私なのだから。むろんカルスタだけを浅羽を持ち上げているわけではない。
「思想史」を使える道具箱にする、という本書の売り口上は看板倒れではない。