ティム・バートン監督「ビッグ・フィッシュ」を観る

コチトラ自腹じゃ風の映画の見方、あまりは好きでない。金払った分楽しませろや的コストパフォーマンスの追求は確かに特権的なツッコミ的地位(=客の立場)を約束するだろう。けれど、それでは国立大学も郵便局もぜ〜んぶ民営化じゃ、小さな政府じゃ、なっ、皆の衆!的小泉純一郎となんら、かわらない。
金を払ってサービスを受けるという商行為は、実はサービスを受ける側の素養や器の大きさが試される場面であるはずだ。すべての寿司がくるくる回っていいはずがない。たとえば衣笠幸雄や新沼健次、そんな人選ならコチトラも楽しいだろう。
そう思いつつも「ビッグ・フィッシュ」には、辛い点をつけざるを得ない。3点だ。25点満点中。
たぶん、ホラ話ばかりしてる父親と息子の和解の物語という側面が原作にあるんだろう。映画においても、実生活の父親とほら話のなかの父親が交錯する。が、ティムバートンはそのつなぎ方にし苦心している。
臨終間近な父親について自分が知っていることは、ホラ話しかないことに苛立ちを隠さない息子。映画「ビッグ・フィッシュ」が精彩を欠くのは、ティムが息子の苛立気分がこの物語のキモと勘違いしている点にある。息子なんて無視、ひたすら父親のホラ世界を突き進むのが正解だったんじゃないだろうか?
原作を読む方が実りが多いかもしれない。あぁ、やっぱ乱暴意見になるなぁ。