トマソンの構造

若い頃、岡倉天心を本気で偉い人と尊敬していた。むろん彼のハッタリ力を村上隆と比較検証するような地道な作業の重要性は日増しに高まっている。しかし、私はもう少し迂回し、たとえば路上観察学会、「トマソン」について考えたい。無用の建築物の発見運動。あれは、民藝の「用の美」へのサブカル的ば反撃だったはずだ。岡倉天心や九鬼「いきの構造」周造が好きだった沖縄の高校生の私は当然のように、通学途中に「トマソン」を発見し喜ぶような感性を自己の感受性として受け入れた。だからこそ私は岡倉天心村上隆のハッタリ性を検証する前に民藝とトマソンについて考えたい。青春プレイバック風に言えば、それは、過去の自分におとしまえをつけるということだ。