○季刊「本とコンピュータ」2004年春号の水越伸取材記事を読む

正確には「共有地の開拓者たち」という連載の第三回が「水越伸」。一読、わたしの郷里沖縄にシーサーという狛犬のような魔除け獅子があるが、あれを張り子で作りたいと言っている友人の顔をフト思い浮かべた。以下、「本とコンピュータ」56頁より引用。

水越さんは大学時代に、デザイン事務所で企業と組んで商品開発をする仕事をした。そのときに、世の中にあるものはすべて組み替え可能だという視点がみについという。
「まるで頭のなかにフォトショップのような画像ソフトが入っているみたいに、ものごとにモーフィング(形態変化)をかけてしまう。ふつうの研究者は、本を読んだり研究対象を分析して描写してい終わり。でもぼくは、研究対象は作り変えられる、と考えるんです」

たしかに水越は「ふつうの研究者」じゃないようだ。対象よりもそれへ対するアプローチが大切という視点はビジネスの世界ではありがち(おおむね予算の問題)であるけど、大学の研究室じゃ目新しいのかも。斉藤孝先生は、このギャップをビジネス界へ逆輸入することに熱心だし。今、日本のカルスタが真っ先に研究する対象は、「斉藤孝」ではないだろうか?

あと、「ぼくのなかには、「無名性」への志向があるんです。」という水越のことばがサブ見出しとしてあるのだが、無名性とか匿名性を語る有名性について猛烈に考えたい。