○ギラさわの境地 ー 服部真澄「清談 沸々堂先生」感想


服部真澄「清談 沸々堂先生」は、沸々堂先生の世間を喰ったような審美眼譚。風采は「庭師くずれか、建築家くずれ」と、冴えないそこいら辺りの関西弁のおっちゃん。けど、その審美眼は侮れない。作品の善し悪しさることながら、作家の伸びしろをバッシと見極める粋な蒐集家、それが沸々堂先生。
蒐集家というと、作品や作家に対する執着というものをなんとなくイメージする。そして沸々堂先生もまたその例にもれない。けど、彼の執着はどこかユーモアがある。否、執着はまんま執着でしかない。実際欲しいとおもったものは必ず手にいれる。だからユーモラスなのは得物を手に入れるために彼が企むバカカバしいまでの段取りの方だ。
おそらく、作品タイトルの「清談」とは、そうした沸々堂の得物ゲットのための手練手管に流れる底抜けの風流に由来する。ギラギラのさわさわ。その二つがあいまって沸々堂先生なのだ。
つまり、コレ欲しい、アレ欲しいのギラギラな蒐集欲も沸々堂の本性だが、得物をめぐるアノ手コノ手のアプローチも偽らざる沸々堂ということなんだろう。
なお、ボクの脳内キャスティングは沸々堂に往年の桂枝雀。けど、仮にドラマ化の場合この配役は叶わない。個人的には鶴瓶を抜擢的したい。


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