yasulog2010-02-09

板尾創路監督・主演「板尾創路の脱獄王」感想


ジム・ジャームッシュの作風を彷彿した。
「脱獄」って行為は犯罪だけど、どこか遊戯っぽい匂いがあるよね。それが監督板尾の本作にこめたメッセージだと思った。たぶん、いとも容易く脱獄する割に呆気なく捕まってしまうのは、牢屋を抜け出すことに特化した空前絶後の天才の証なのだ。それ以上でもそれ以下でもなく。
本作タイトルから察しがつくように、本作の主人公鈴木は脱獄常習者。その人生は文字通り脱獄と服役の連続という有様。
時代が二次大戦中の日本とされているが、その必然性は感じられない。おそらく、吉村昭の小説「破獄」のそれをそのまま拝借したのだと思う。というか、収監と脱獄の循環は、まさしく「破獄」描かれたエピソードそのままなのだ。
換言すれば、本作は主演板尾というキャスティングでのぞんだ徹頭徹尾オーソドックスな「脱獄モノ」ということだ。
鈴木と看守長(國村隼)との心の連帯というトピックは、典型的な脱獄モノのそれで、看守長は作中唯一の鈴木の「理解者」という立ち位地を担う。
ヤツは何故脱獄するのか?
この問いはまさに看守長が鈴木を理解せんとする自問なのだが、観客はその問いにつられ、鈴木の動向に目をこらす。けれど、目をこらせばこらすほど、脱獄の理由は、板尾創路という男の二枚目面のなかでどんどんアイマイモコになっていく。
兎に角、板尾の顔の座持ちぶりでも観る価値がある。さらにいえば、イカレた看守役のぼんちおさむも必見だ。津田寛治の、ジャリズム山下が憑依したかのような外道看守の怪演も忘れがたい。
というわけで、板尾好き、ジム・ジャームッシュ好きにはオススメ。両方好きは、昼飯抜いてでも観るべきだろう。
最後に苦言。もしかするとデザイン界の偉い人の手によるのかもしれんが、ドクロ頭の非常口マーク、あれはこの映画のテイストに似合ってない。