浅野忠信主演「鈍獣」感想


宮藤官九郎脚本のお芝居「鈍獣」の映画化。
映画ってのは、誰が言い出しっぺかでほぼ決まるなぁと痛感させらた一本だった。
たぶんこれって、過去にやらかした取り返しのつかない出来事に、二十年越しで復讐されるハナシ。で、クドカン脚本はそれをオーソドックスなホラーとして描くではなく、ファンタジックな狂気として語ろうという寸法。
とある文学賞にノミネートされた有望作家、凸川(浅野忠信)が突然失踪した。担当編集者の静(真木よう子)は彼の消息を追い、一路生まれ故郷の地へ向かう。手がかりはホストクラブの名刺。
ホスト(北村一輝)、店のママ(南野陽子)、常連のお巡り(ユースケ・サンタマリア)、ホステス(佐津川愛美)。静は、彼らにデコ川の消息をガシガシ詰問する。やがて彼らが語り始めるたのは、凸川という男の、壮絶かつ伝説的な鈍さエピソードの数々だった。

良くも悪くもクドカン脚本がこの映画の個性になっている。
浅野忠信真木よう子北村一輝といた役者陣の突き抜けた演技っぷりは、「馬鹿」の一語につきる。特に主演の浅野忠信はハマり役だった。凸川の誰なんだお前!なテイストは浅野のニコニコ顔がドンピシャ。そして他の演者も彼に共鳴するように、はち切れんばかりに役者魂を噴射した。
圧力なべのフタが吹っ飛んだ的な役者陣の大奮発はとにかく素晴らしい。にもかかわらずこの作品、映画としての輝きは電池並列つなぎ豆電球なみで、エンディングに向けてのぶわぁーっとくるような高揚感もからっきしだった。舞台版ならココは大爆笑だろうなって箇所が幾つかあった。それが不発、ほぼ全滅だった。
ハナシの構造上、出来事は回想的に語られるわけだが、回想シーンってのは舞台ならナマの役者が演ずるから凸川の空戦絶後の鈍さが際立つが、映画の場合だと、肉体的なアドバンテージはなく、流石の浅野クンも凸川の鈍さは効果的に伝えきれてなかったっぽい。
うーん、クドカン脚本にこだわるなら、やっぱ普通にホラー畑の監督に自己パロディー的に作らせるべきだったと俺は思う。
冒頭でもふれたが、この映画は子供時代の取り返しのつかない大失態に復讐されるハナシ。クドカン脚本の面目は、その恐怖を切迫感でなく、ド田舎のスナックで毎夜再現される、ユルユルな停滞感と解釈したことだろう(現代人はある種の緊張を渇望してる?)。ただ、それは舞台向きなテーマであっても、映画的ではなかった。なんて言うか、押井守で十分間に合ってマスよってあんばいで。
ま、浅野マニアや北村一輝好きや佐津川愛美ファンは是非見るべきでしょ(これホント!!)でもさ、もとの舞台版やクドカンファン連中はブチ切れ怒り大爆発じゃないのか?。
まさか君ら、お芝居がうけたからって安易に映画化したんじゃあるまいな!って怒気ふくみつつ疑心暗鬼になるくらい製作サイドの鈍獣ぶりがそら恐くなる一本でした。