甲野善紀前田英樹「剣の思想」感想
(青土社 ISBN:9784791759255)


「剣の思想」は、甲野善紀前田英樹の剣術観についてやり取りした往復書簡。
甲野善紀は武術家。桑田真澄投手の再生を導いた身体術で俄然注目になった人。かたや前田英樹は立教大の先生。専門はフランス思想と言語論。また、新陰流の遣い手であり本書では基本的に新陰流を学ぶ者の立場で語っている。
ちょとハナシは飛躍する。東京芸大の前身東京美術学校創始者岡倉天心は、その発足当初彫刻科の先生選びに難渋したそうだ。彫刻という概念自体なかったわけだから、教師がいるわけもない。意を決した天心は、廃仏毀釈ムードで開店休業中の仏師に白羽の矢を立てた。首をなかなかタテに振らない仏師に、天心は「いや、作業じたいは大して仏さん彫るのとかわらんから」と説得し承知させた。
後に彫刻家として名をなす高村光雲の誕生秘話だが、仏師の仕事に彫刻家を見いだした岡倉天心の苦肉の策がなんとも可笑しい。また、このハナシ見方を返れば、我が国における西洋流の芸術概念受容の一例をしめしていて興味深い。
端的にいえば、「仏教美術」、「室町美術」などという言葉はおそらく明治以降の造語で、それ以前仏像や家具調度が美術品であった歴史はなかったのではないか?
「剣の思想」において前田英樹は、西洋のスポーツ競技へのナショナリズムな対抗心が剣術から「剣道」を創ったと指摘している。急ピッチな近代化は、西洋流を輸入するだけでなく、土着のものの西洋流への改造を招来させたというわけだ。たとえば仏師は彫刻家に、そして剣士は剣道の選手に改造されたと!
先に述べたように「剣の思想」は往復書簡だが、往復書簡の形をした真剣勝負の風情がある。なんといっても前田の先制パンチともいうべき、司馬遼太郎批判はまさに目が覚める一撃。
やり玉に上がっているのは北辰一刀流の開祖、千葉周作を材にした「北斗の人」。千葉周作は、防具を身につけ、竹刀で打ち合う式の稽古を発案導入し、現代剣道の礎を築いた人。肝心のその型そのものが継承のうちに滑稽化し奥義から乖離しているとし、従来の型稽古を止めたとされる。
こうした千葉周作の足跡に、司馬遼太郎は剣術の指導者としての先進性や合理性の「発見」し、「北斗の人」を書いた。
しかし前田は、そんな合理的精神の持ち主としての千葉周作など、作者司馬遼太郎が後世に生きる者の後知恵をフル活用し、自身の思考を投影した虚像にすぎないとバッサリ斬り捨てる。
53ページより引用。

型としてしか伝承しようがなかった戦国期の兵法が、江戸期において大変惰性化し、滑稽化したことは、確かなことでしょう。けれども、防具打合いの竹刀剣術が流行したことは、その稽古法が型稽古のゆがみを正せるものであったからではない。型稽古が、防具打合いの出現を見てしまうほど、滑稽な形骸となっていたからです。さらに言えば、防具打合いは形骸化した型稽古の滑稽さを、さらに別の方向であからさまに演じ直したものにほかならなかったのです。両者は、同じできごとの表裏に過ぎません。

さてわたしは先に、「仏教美術」や「室町美術」なる言葉は、あかたも日本に美術なる概念がその当時からあったかのような錯覚いだかせる旨のことを言った。これに引用した前田の指摘する江戸期剣術の根本的な欠陥を照らし合わせてみれば、江戸期剣術が剣術の抜け殻であったことは明白だろう。
その意味で「北斗の人」における千葉周作は「仏教美術」なのだ。ようするに、前田英樹は、「北斗の人」ごっこは止めなさいと、甲野さんに暗に言ってるわけだ。痛烈。


剣の思想
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