yasulog2008-05-06

ジョージ・クルーニー主演「フィクサー」を観た
*注意:映画の筋をバンバン喋ってますんで、未見の方は本作を観賞後、お読み頂くことをオススメします。


ボーン・アイデンティティー 」シリーズの脚本を手がけたトニー・ギルロイの初監督作品。脚本も監督自らの手によったもの。
映画「フィクサー」は、アーサーという男をどうみるかで、ストーリーの見え方が違ってくる映画だと思う。けれどアーサーの真意について映画の描き込みはあまりに淡白だ。だから、私はアーサ−の真意を妄想的に補足ながら、この作品のあらすじを語ってみたい。
マイケル・クレイトン(ジョージ・クルーニー)は、弁護士事務所に勤める、法廷外でもみ消し専門のフィクサーという役目の弁護士。顧客有利な判決を勝取るためには、もはや法廷内で紳士的に法律討論するだけでは無理ということか。
法廷弁護士が勝訴のたびに名声を得る花形なら、フィクサーは、名声とは無縁の影の存在。刺すか刺されるかの訴訟社会アメリカの弁護士稼業とは、花形と影のふたつ、クルマの両輪がそろってはじめて、商売としてまわりだすのかもしれない。
冒頭、マイケルの友人で法律事務所の同僚、アーサー(トム・ウィルキンソン)の興奮気味の独白から始まる。曰く、なあマイケル、俺は身も心も狂っちゃいない、ウンヌンカンヌン。
けれど実際のアーサーは、ミネソタの法廷で裸になるという奇行をやらかし勾留される。事務所の上等顧客の巨大農薬会社U-ノース社が被告の農薬被害集団訴訟事件。その絶対負けられない訴訟の現場でよりにもよって、主任弁護士アーサーがトチ狂ってしまうとは!!
このイタい事態に収拾をはかるべく、クレントンミネソタに飛ぶ。手始めに彼は、アーサ−の身柄を確保し、NYに連れ戻そうとするが、アーサーは隙をみて逃亡。けれど、彼は行方をくらますわけでなく、自分の足でNYに舞い戻る。
十中八九、法廷での奇行はアーサーの用意周到な計画に基づくものだ。彼はストレスで壊れた弁護士を演じつつ、U-ノース社を告発の仕上げにとりかかっていた。
アーサーの計画。自分が訴訟中に裸で暴れたりしたら、事務所は間違いなくクレントンを派遣すると踏んだ。そして実際そうなった。また事務所は自分をこの訴訟の担当から外し別の誰かを後任に当てがうと踏んでもいた。これもその通りになった。
鞄は、アーサーがクレントンに宛てた手紙だった。派遣されたクレントンが鞄のなかの内部機密を読む。そのときクレントンは、自分の味方になるとアーサーは計算したのだ。アーサーがNYでクレントンに再会したとき、彼がやけにヨソヨソしくしいのは、機密文書を読んでいながら保身のクレントンが、U-ノース社サイドに立っていると勘違いしたからだ。実際には、クレントンは鞄を確保出来きなかったのに。
そういう意味で、アーサー筆頭の弁護チームが彼の鞄を確保出来なかったのは、アーサーにとって痛恨のミスだった。
切れ者のアーサーは、U-ノース社と刺し違えるつもりはなかったはずだ。自身のキャリア的栄達と良心の回復、そのふたつを成し遂げることが、彼の練った計画だったと思う。つまり、アーサーは原告側に立ち、破格の賠償金をU-ノース社からふんだくる算段だった。
たしかにアーサーは、原告団の娘に恋をした。けれど恋のせいで常軌を逸したわけではない。彼は恋によって、良心の声に従う決断をしただけだ。つまり、アーサーにしてみれば、本当の狂気の沙汰はU-ノース社とその弁護を引き受けていたこれまでの自分だったのだ。もし彼を単に心の壊れた男としてとらえると、正気返った彼の企てが狂気じみてみえてしまう。
映画は、一見アーサーは狂っているふうで実はマトモなのだという意味合いを直接的に描いてはいない。しかしその代わりに、ギリギリの精神状態の法務部長カレン(ティルダ・スウィントン)の姿で間接的に語るのだ。
鞄のゆくえ。それはU-ノース社の法務部長カレンのもとにあった。鞄から内部機密文書をみつけた彼女は、アーサーの弁護士としての忠誠心に疑念をいだく。彼女は内密にアーサーの動向を洗わせる。雇われたエージェントは、アーサーが原告側の女性と接触し、機密情報の暴露を計画していることをクレアに報告する。万事休す!
しかし、アーサ−の死に疑問を持ったクレントンはアーサーが残した痕跡をたどりだす。彼はアーサーのメッセージを読み解き、ことの真相を知る。花形弁護士と法廷の外の影、ふたりの男の時間差の連携プレーが映画「フィクサー」の見所だ。
まったくハートの熱い男だゼ、ジョージの兄貴!