○kokada_jnetさん推薦の小谷野敦「リアリズムの擁護」がおもしろそう


このブログで本関連について書くとき「book」というカテゴリーを一応つけてる。けれど書いてることのほとんどが本のことばかりでなので、カテゴリーの役目をなしてない。それで読んだ本の感想などは、「recommend」とするべきかと思案した。
けど、なんだろう、レコメンドという言葉のニュアンスと私の感想文の間にはイササカへだたりがあるっぽい。というわけでレコメンドの件は一端保留。
このブログ4/20のコメント欄で、はてな界の読書怪獣、kokada_jnetさんから小谷野敦「リアリズムの擁護」のご推薦をうけた。
http://d.hatena.ne.jp/yasulog/comment?date=20080420#c

kokada_jnet 2008/04/22 17:26
小谷野敦センセイの新刊「リアリズムの擁護」に、「司馬遼太郎がなぜ女性が描けなかったのか」という論があって、面白いです。立ち読みだけでも、どうぞ。
ちなみにこの本、大岡昇平が「井上靖海音寺潮五郎歴史小説」を批判したのは、彼が左翼で「民衆史観」の持ち主で、井上や海音寺の小説が、「ヒーロー小説」だったから、という目ウロコ指摘もあったりして、面白いです。でも、さすがの大岡も、司馬遼には「事実の間違い」を見つけられなくて、ケチの付け所がなかったとか。

いやー、よみます。よみます。そうだ、そうそう、司馬遼小説の女たち、たしかにキャラ薄いよなあー。そっかあ、やっぱ大岡昇平は司馬遼にツッコミを入れようと思っていたんだ。なるほどお。
けどぼく個人は、司馬遼太郎に「事実の間違い」でツッコみ入れるっての得策でないように思ってます。そういう、事実はこーだったあーだったってのは水掛け論になりがちなんで。
司馬遼小説の特徴は、「足を洗う」シーンがやけに多いこと!誰かが誰かを訪ねていくと、大概訪ねられた側は足を洗っている。
西郷どんも竜馬も項羽劉邦も皆足を洗う。なぜか?これは水島新司先生が居酒屋「大虎」の引き戸をひいて登場するあぶさんが毎度まいど描いてしまうのとアレ同じです。そう、足洗うシーンは完全に手癖。人物と人物の出会いが非常に高い確率で足洗い場という小説はやっぱ下手クソと思います。あはは。
まあ司馬遼太郎の発明は、幕末維新という政治的な激動期に当時まだ何者でもなかった竜馬や土方歳三西郷どんらの青春を描いてみせたこと。そりゃ、昭和30年代のヒラ社員はこぞって読みまくるわな。なんせ自分たちと境遇の似た連中が大活躍して新しいニッポンを打ち立てるハナシなんだからねえ。