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○鹿島茂「ドーダの近代史」読み中
(朝日新聞社 ISBN:9784022503022)
「天才バカボン」に、バカボンのパパがバカ田大学の同期の男と久々に会い、すし屋で旧交をあたためるハナシがある。
ひょんなことから、ふたりはワサビの辛さ耐久勝負をおっ始める。
勝負はしだいにエスカレートし、結局オチは、バカ勝負に怒ったすし屋の店主がワサビを握った寿司を出し、それをふたりが食い、あまりの辛さにすし屋の屋根をつき破って飛んでいくというもの。
ドーダとは、何か?
私見では、ドーダとはある価値基準に照らし、己の優秀性をアピールをしなくては気がすまない悲しい男のサガ的コミュニケーション行為を指す。
発案はマンガ家の東海林さだお。彼がそのエッセーのなかで提案したドーダに、鹿島はいたく共感したらしい。ただ、ドーダが自己愛に源を発するすべての表現行為という意見は、後付けっぽくてなんかしっくりいかない。
「ドーダの近代史」は、このドーダの観点からの日本近代史。とりわけ西郷どんと中江兆民にスポットをあて、いかにドーダが歴史のなかで重要な役割をはたし、またこれが今日われわれ日本人のメンタリティーをいかに拘束しているかを暴いた痛快歴史エッセー。
なお、著者鹿島茂には、これに先行して近代文学をこのドーダの観点から読みといた「モモレンジャー@秋葉原」があり、それがわりかし評判がよかったかようだ。で、本書はその姉妹版のよし。
スゴイ!たしかに凄い。ドーダの理屈はたしかに快刀乱麻の斬れっ振り。
とはいっても、ぶっちゃけ「ドーダの近代史」はずいぶん手の込んだ冗談なのだ。そう、ドーダなんて冗談だ。
たしかに冗談だけれども、それは鋭いマンガ家の人間観察を土台し、さらに大学のセンセーである鹿島茂が腕によりをかけ論証の積み上げの巧みさと展開の流麗さを具備した。かくしてドーダは、ちっとやそっとじゃびくともしない、立派な冗談に仕上がった。むろん、この仕上がり具合は歴史論のパロディーなんだと思う。
それなのにつじつまがあってしまってる!そんなところが痛快っていうか、面白いんだろう。
朝日の野口武彦評より引用。
http://book.asahi.com/review/TKY200707240406.html
ドーダというと語感は軽いが、その言葉を使うことで何かが明瞭(めいりょう)に見えてくる《用語視野》が開けているのは間違いない。
野口センセーも太鼓判だ。なりほど、たしかにドーダを通して歴史をみれば、見えてくるものがある。うはは!と声に出して笑ってしまう。で、膝をうつほど歴史的視野が広がりだす。これってどういうこと!?
俺にはみえる。居酒屋で歴史談義に花を咲かせるサラリーマン団のなかに、ドーダの理屈を振りかざすヤカラの姿が。
俺は予感する。たぶんこの本が評判になればなるほど、ドーダ理屈のヤカラが大暴れするだろう。で、「ドーダの近代史」はバカ売れはみせなくても、じわじわ売れをみせるだろう。っていうかそんな兆しはもう見えはじめている。
だから、忘れちゃいけない。ドーダが冗談だってことを。快刀乱麻のドーダの斬れ味が、歴史のうちに何を見えるようにしたと同時に何を見えなくしてしまっていることを。
ドーダの近代史 | |
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