佐藤江梨子主演「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」感想


さいきん芝居系の書き手が注目されている気配だ。クドカンしかり、松尾スズキしかり。劇団五反田団の前田司郎は今回芥川賞候補にノミネートされたし。このごろは著述活動の方向をシフトしているが、面白エッセーで抜群のサエをみせた宮沢章夫も芝居の劇作家で演出家な人だ。そして、いまもっとの旬な気配が、「劇団、本谷有希子」主催の本谷有希子

映画「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」を観た。原作は、本谷が自作の脚本を小説にリライトしたもののよう。
以下私の感想。
自分は女優としての才能があるのに、周囲が馬鹿で自分の才能が発揮できてないと勘違いしている女・澄伽(サトエリ)が、辺鄙な村に帰郷するところから物語は始まる。澄伽は一応東京でプロダクションに所属しているが、まったく努力しない天性の大根ぶりや性格の悪さがたたってクビになる。けれどまったくめげることなく、澄伽は自分の才能をひたすら信じている。演技を磨くといった骨折りは一切しない。「いつか女優になってやる」という猛烈な上昇志向のみで澄伽は生きている。
私が才能も発揮できずに埋もれているのは、世の中が悪い!といわんばかりの澄伽だが、彼女の願望は、「白馬の王子様」の出現を願う乙女のそれの変形だ。
澄伽は家族を糞以下だと見下している。なぜなら自分の才能をまったく理解しないわからんちんだからだ。
糞ならまだいい。糞以下の分際で自分の邪魔しやがる。だから許せない。自己チューのバケモノ・香澄伽の「甘え」は、サディスティックな八つ当たりとして家族を苦しめる。
そんな八つ当たりにおびえながらも、妹の清深(佐津川愛美)は、勘違い女な姉・澄伽に触発され、ホラー漫画を描きためる。
清深は衝動的にホラー漫画を描く。彼女も何に突き動かされてているか分からない様子だ。姉の澄伽に露見すれば、半殺しの目にあるかもしれない。それが分かっていても清深は描くことをやめられない。祈りか?否、清深にとって、ホラー漫画は、勘違いな姉への、遠まわしな愛情の表現なのだ。
ラブレター。二人がそれに気づいたとき、それは、実は妹こそ「白馬の王子様」だったというわけだが、それを了解したラストで、澄伽は自分の勘違いをようやく抜け出す。
兄嫁役の永作博美にボケが集中している点が気になった。彼女は「お笑い担当」という風情だ。永作にとって、この役柄は「おいしい」のかもわからんが、永作が出てきたら笑え的なキャラ依存の高さは、志が低いと思う。会話や状況設定、理不尽など、いろいろ盛り込めただろうに。よく出来たハナシなだけに、笑いに対する無知頓着さが残念だ。