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○高島俊男「李白と杜甫」読み中。
(講談社学術文庫 ISBN:9784061592919)
ちくま文庫に収った「日本人と水滸伝」で、文学はその国の、その時代の社会の反映で、コレを研究すればおのずと時代に磨耗されない当地の人々の価値感や社会構造が分かるという文学研究における森鴎外の着想を気張ってページを割いて紹介していた。
おそらく「李白と杜甫」は、高島さんなりの森鴎外の示した方法論の実践なんだろう。というのも、李白のような天才詩人でも時代の価値観から自由でないという社会学的な視点が「李白と杜甫」にはあるからだ。
具体的にいうと、当時の男が一旗あげようというとき、それは必然的に官吏への道を意味していた。文学をなすことは趣味ではなく、官吏実務に欠かせないものだった。
また李白と杜甫が生きた唐の時代、家系を極度に重くみることが世俗化した時期でもあった。裏返せば、それは家系の善し悪しで人生が決まっているバリバリの格差社会を根っこを下ろしていた。杜甫はエエとこの子だったが、李白の親父は素性あやしからん人だった。
高島のアプローチは、当時の才覚ある者がそうするように官吏をこころざした点では二人の天才詩人も凡庸だった点を指摘し、その上で社会的階級に言及することで李白と杜甫の対比を描いた。
「李白と杜甫」の親本である 評論社「李白と杜甫―その行動と文学」の リリースは1972年。これはシリーズとして画策されたものの一冊のようで、高島は友人に誘いでこれに加わったようだ。
高島は作品吟味鑑賞的な方法論を退け、森鴎外式にやってみた。「李白と杜甫」のもくろみは、当時の社会構造ないし意識をコミコミで詩人の行動を追い、その文学を吟味するものだ。私は漢詩についてズブもズブの大変なド素人だけども、高島を水先案内に時代背景ごしに李白、杜甫を眺めたとき、今日的サラリーマンのモチベーションに勝るとも劣らない彼らの動機の凡庸さに共感しつつも、その凡庸さへのリアクションが途方もなく個性的で、詩作それ自体より詩を吐くく天才の怪物性を目の当たりにし驚いている。
李白と杜甫 | |
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