稲葉振一郎「経済学という教養」読了
(東洋経済新報社 ASIN:4492394230)

80年代におこったいけいけどんどんのバブル景気は、90年代初頭に崩壊した。後に「平成不況」と呼ばれる長い停滞期が日本を覆った。戦後の焼け後から急速な成長期を経て経済大国にのし上がった日本は、政府・国民の両レベルでその自信からこの不況を易々と打開できると当初タカをくくっていたが、景気は一向に上向かず、そうした楽観は見事に打ち砕かれた。
至極当然に景気を回復しなくっちゃという世論が高まり、エコノミストや学者、官僚、なんとか総研、八百屋のオヤジまでもが、景気復興の対策を思案した。
このとき思案された対策は大別してふたつ。ひとつは、政府は財政を切り詰め、民間企業もスリム化を計るため「リストラ」していこうという「構造改革」案。もう一個は、ケインズ流の財政金融政策をやっぱやろうヨ案。今にして興味深いのはこの二案はまったく正反対のことを指南している点だろう。
稲葉振一郎「経済学という教養」は、不況期における経済政策として上記に二案の評価を一端凍結し、「日本経済」や「不況」に対する新古典派ケインズ的なマクロ経済学など経済学における経済学の大きな学派や学説の立ち位置を地図化し、上記二案が醸成された背景を追跡しその醸成過程に潜む価値観を考察しようというもの。
学派学説の地図化際し、マルクス経済学の立場もその地図化のなかに配置した点が秀逸だと思う。当時新興国だった戦前の日本経済をどのように眺めていたかという争点で、日本のマルクス経済学は二分されるという。すなわち、日本経済を「前近代的なとこが残っとるよ」とした講座派と、もう一方の「十分に資本主義的ですよ」とする農労派のふたつだ。また、戦後農労派の流れを汲む側から宇野弘蔵を筆頭とする(「宇野派」、「宇野経済学」)が台頭し、彼らはマルクス経済の枠組みを脱し、日本なりの経済運転の分析に着手し、その一派から新興国における経済政策の日本流のやり方に一定の評価を導き出す動きも生まれたようだ。
ところで、平成不況の際の「構造改革派」のその根拠となる論法を要約するなら、「やっぱ日本経済はスゴかったんです。だって欧米にキャッチアップしたでしょ。けど、追いついた今となっては時代遅れだよね、やっぱ不況ってそのせいなんだよ。その独特な構造を欧米標準にしていかなくっちゃね」というものだろう。で、よくよく考えるとどうやら、これは上にみた講座派の日本経済の眺めかたと同じフレームに立脚しているようだ。
つまり、講座派が「前近代的」とマイナスに評価した家族経営主義、下請け制、「お上」主導の産業政策などの「日本経済における特殊要素」を、「構造改革派」は時限付きで「良かった」としながらも、「もう役目は終わった」と判断したということ。また、こうした「日本経済の段階的発展」というアイディアも宇野派系の流れに影響されたクサい。
要するに、マルクス経済はもはや時代遅れのポンコツでオナハシにもなりませんなぁと口で云いつつも、そのフレームワークは、日本のマルクス経済学者のおさがりだったというのが「構造改革派」の内実だったわけだ。
「平成不況」打開の処方箋としての二案、構造改革かそれともケインズ流の財政金融政策かという政策の評価において、庶民の味方、「正義」の経済学者金子勝が、「構造改革派」と意見が合致してしまうわけだが、それは、「構造改革派」が講座派のフレームに無意識にかぶれてしまっていたことと無縁ではないと思う。また、金子と「構造改革派」は、ケインズ流の経済政策を軽視する点でも似通っている。むろん金子と「構造改革派」のそう考えるに至った経緯は別である。ありていに言えば、金子がケインズ流経済政策を目の敵にしていることが、ドツボにはまった要因だ。そうして、敵(ケインズ流経済政策)の敵(構造改革派)は味方としてしまったわけのだ。
繰り返しになるが、「構造改革派」がケインズ流の経済政策より構造改革にこだわる理由は結局、日本的経済遺風=「構造」を見直さないと始まらないという観念に取り憑かれていたためだろう。コレは革命、革命と連呼していた往年の教条的マルクス主義者と五十歩百歩だ。対して、金子のケインズ流の経済政策嫌いは子供のにんじん嫌い!といやいやするに等しい。そして、にんじんをはねつけるたがために大好物のカレーライスまで皿ごとぶちまけしてしまった。ともかく金子は食わず嫌いはやめてまずにんじんを齧ることだ。にんじんは不平等でもないし、搾取でもない。それは単ににんじんなんだ。
ま、本書のなかでも金子が可哀想なくらい叩かれていて忍びない。けれど、そんな金子を嗤うのではなく、金子のツマズキを見据え、「平等」、「公共財」、「貨幣」、などの要件を洗い直すのは無駄なことではない。その洗い直しうえで、ケインズ流の経済処方箋とその思想系譜を再検討するなら、金子や我々も変な電波に踊らされず、適時的確な経済政策を提言したり、支持する目を養えるのではないか。
日本経済のなかに住人みんなが同じ枠組みで「景気」を考えてみる。それが本書のタイトルに込められたメッセージだと思う。


経済学という教養
経済学という教養稲葉 振一郎

東洋経済新報社 2004-01-10
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